「善意を受け流す力」が必要なのかも

私も25年くらい生きてきたので、自分より若い人に出会うことが多くなってきました。私もそれなりの人生経験というものがあり、それを他人に語りたいと感じることもたびたびあります。
一方で、多くの人たちと同じように、上司や先輩からの教訓めいたお話をなかなか素直には聞き入れられないという気持ちもあります。あきらかにその人のほうが素晴らしければ(その素晴らしさは狭い分野に限っていてもいい)、素直にアドバイスを聞くこともできるかもしれませんが、尊敬できない人からのお小言を聞くのは難しいものです。
私たちも馬鹿ではないので、先輩からの助言が、すべてその人の自尊心を満足させるためだけに語られているわけではないということは分かります(自尊心を満足させるために語る人もいますが、それは無視していい)。その人なりに思うところがあり、そしてそれを私たちに語ることによって私たちがいくらかでも向上するかもしれないという期待を持ってくれているからこそ、その人は自分の経験や考えを語るわけです。それは分かるのです。分かるのですが、素直になれない。正しいことを言われているのは分かるけど、反発してしまう。
記事のタイトルとして「善意を受け流す力」が必要かもしれないと書きましたが、人によって必要なものは変わるでしょう。「善意からの進言を聞き流す力」が必要な人もいるでしょうし、「善意だと分かっていながら反発してしまう自分を許してあげる力」が必要な人もいるでしょう。
こういう話はあまり語られないのかもしれないなあと思ったので書いてみました。これも善意で書いているので、読んだ方は適度に受け流すとよいと思います。