四季・夏 (講談社ノベルス)

四季・夏 (講談社ノベルス)

以前*1をかべさんが

「そもそも小説を読もうと思わない理由がまさしく“面白くなるまで(つまり本当に用意されたネタまで)を我慢して長々と読み続けられない”からであり、その例外のひとつこそが、なんでもない文にも技巧が凝らされている森博嗣さん、ってことか。」

と書いていた。私も、森博嗣の文章が好きだ。


『四季 夏』もやっぱり面白かったし、恐かった。真賀田四季というキャラクタも恐いのだけど、そのキャラクタを創造した森博嗣の能力が恐い。
読んでいて少し寒くなった部分を抜粋します*2

食べることだけに喜びを見出しているようにさえ見える生命。
酸化するだけのプログラム。
針のない時計、アイドリング中の車、スイッチを消し忘れた機械、水車、風車、風見鶏、すなわち、最初は何かしようとしていたはずなのに、何もしなくても生きていけることを知ってしまった生命たち。

この感性の、どのくらいの部分を自分のなかに組み込めるのか、取り入れられるのか、なんてことを考えてしまったりする。

*1:2006年9月28日

*2:ノベルス版、218〜219ページ。