なぜ炊事は簡単ではないのか――ほんとうに使える料理本のための覚書

たくさんの料理本が売られている。料理名や食材名でウェブ検索すれば、クックパッドをはじめとするたくさんのレシピサイトがヒットする。時短料理、簡単レシピ、意外な組み合わせで手軽にごちそうメニュー。気軽に通える雰囲気の調理教室がショッピングモールに入ることも増えた。たくさんの料理に関する情報が出回っているが、しかしこれらの情報のほとんどは、炊事を簡単にすることはない。なぜか。


ここでわたしは「炊事」ということばを使う。「調理」と区別するためだ。いま問題にしたいのは、家事としての炊事である*1。調理は難しくない。洗濯や掃除と併記されるような家庭生活の一部としての「炊事」が難しいのであり、1回ずつの食事を制作すること=「調理」はけっして難しいものではない。調理はレシピ通りにつくればよいからだ。
信頼できる設計書があり、そこに書かれた素材が過不足なく準備できて、書かれたような技法を実際に再現することができれば、調理を失敗することはない。それでも失敗したのなら、レシピの文章を読み間違えているか、レシピに書かれていない作業を行ってしまったかが原因だろう。つくる料理によってはもちろん、難易度の高い工程はある。単身用アパートのちいさな電気コンロでは、調理にじゅうぶんな火力が得られないこともある。生卵をきれいに割ることにしても、慣れていなくては失敗しがちな作業だ。しかし逆にいえば、レシピが要求する道具と技術に応えることができれば、調理の難しさは解決するのである。



では、なぜ炊事は難しいのか。それは、応えるべき課題が単純ではないからだ。人生を対象にしなくてはならないのが炊事である。簡単に解決できるはずがない。
わたしたちは豊かな人生を送りたいと考えている。豊かな人生の一要素として、豊かな食事がある。わたしたちは美味しいものを食べたいし、健康でありたいし、好きなものを好きなように食べたいし、食事に金を払いすぎたくない。食事についての希望はいろいろな方向性があり、互いに相容れない。珍しい高級食材もたまには食べてみたいし、慣れ親しんだ簡素なものも食べたい。いろいろなものを食べたいのだ。
また一方で、わたしたちの生活はけっして単一ではなく、単調でもない。ひとり暮らしの家庭も3世代同居の家庭もある。いまはひとり暮らしであっても、いずれ家族と同居することになるかもしれないし、その後またひとり暮らしに戻ることもあるだろう。人生のすべての期間がおなじ状況であり続けることはない。残業のすくない規則的な仕事に就いている人もいるし、いつも帰りが遅い人もいる。急にとても忙しくなることもあるし、病気で寝込むような時期もあるだろう。隣の家とは家庭事情が違うのだからまったく同じ食事をすることはできないし、去年の自分とは生きている状況が違うのだからまったく同じ食事をすることはできない。
いろいろなものを食べたいという嗜好。それぞれ別個の人生。変わりうる生活環境。炊事は、これらの要求に応えなくてはならない。そのために必要なのは作業環境の充実でもなく、調理技術の向上でもない。思考の訓練だ。


炊事を簡単にする方法はある。選択しないという選択をすることだ。
同じものを食べ続けることにすれば、日々の献立に悩む必要はなくなる。わたしの朝食はいつもシリアルとインスタントスープとコーヒーだ。朝食のパターンが決まっているひとは多いだろう。いつもトースト、いつも御飯と味噌汁と納豆、いつもコンビニのサンドイッチ。それでも構わない。朝は時間がなかったり頭が回っていなかったりするから、いろいろ決めておいたほうが便利だ。変化しないことは問題にはならない。
ところがこれが夕食や弁当などになると、なぜか献立が変化していくのが当然かのように捉えられる。これは現代人に掛けられた呪いであり、無意味な思い込みだと考えたほうがいい。
わたしたちは気に入ったマンガを何十回も読み返すことをするし、好きな楽曲を何十回もリピート再生するし、ディズニーランドに何十回も遊びに行く。反復は必ずしも惰性ではない。同じ献立を繰り返し食べることに罪悪感をもつ必要はない。
呪いをひとつ解いたところで、炊事のための思考について考えていきたい。




なんだか過剰に堅苦しい文体になってしまった。序文かあとがきといった感じで、本文はもっとライトに書きたい。扱いたい話題を箇条書きにしておく。

  • 宵越しの食材は持たない
    • 保存方法を覚えるよりも、使い切るほうが簡単
  • それは手抜きではない
    • コンビニ食材や冷凍食品をどう使っていくか
  • 献立を考える手順
    • 食材駆動型、献立駆動型、そして洗い物駆動型



このブログではこれまでに何度も炊事について書いてきた。
まとめたものがこちら。
「適当な暮らし」のために - うしとみ
いまのところ最も重要なのはこれ。
まず、ご飯より始めよ(生き延びるための自炊入門) - うしとみ

*1:辞書的には炊事と調理は大きな違いはない。この文章では、「炊事」=「家事としての炊事」として扱う。