駅のあたりを歩いていたら、「憲法9条を変えるべき変えないべきか、どう思いますか」と呼びかけている人たちに声を掛けられた。ごくたまにテレビのニュースなどで見るような、大きな紙の左右に「賛成・反対」が書いてあってどちらかに小さなシールを貼るという投票*1への参加を求められた。憲法9条といえば戦争とか平和とかその辺の話だ。残念ながら私にはこれらに関する意見も知識もないので、投票シールは「わからない」に貼った。憲法についてどう考えるかというのは、十分に真剣に考えた上で答えを出すべき問題だと思う。私には、憲法について十分に真剣に考えるだけの動機がない。だから「わからない」。
シールの貼られた台紙を見たところ、「9条を変えることに反対」という意見がかなり多いようだった。憲法について十分に考えている人たちが多いようで、安心すると同時に驚いている。
詳しくは述べないが、あの投票形式は明らかに人道的ではない。ファシズムだ(たぶん)。
もし「わからない」という選択肢がなく、誠実な意見を求められたとしたら、「9条を変えることに賛成」に投票するだろう。憲法のことはまったく分からないが、少なからぬ人たちが『9条を変えるべきだ』と主張しているからこそ、このような議論が起きているのだろう。変化と保守だったら、最終的には変化した方が安全なような気がする。面倒な手続きをしてまでも変えるべきだと主張している方と、絶対に正しいのだから変えるべきではないと主張している方では、どちらが正しいかという問題に答えが出せないのならば、変化を求める方がエネルギィは高いように思う。

*1:参考:http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/heiwa-iraku-04.12.05kyoudou.htm 本文と直接の関係はありません