昨日の天声人語、代理出産のこと

http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061018/1161152942
昨日は、文体の壊れ具合にばかり注目してしまい、書いてある内容についてはほとんど考察しなかったので、今日は「代理母」に関しても少し考えてみます。
昨日の天声人語には一体なにが書いてあったのか、もう一度読んでみます。あれ、アクタガワとか書いてあるじゃん。だから河童なのねぇ…、なんてことに今さら気付きました。電波過ぎて直視できなかったんですね。見たくないものは見えなくなるらいしですからねぇ…。

と、またも文体を貶すだけで終わってしまいそうなので、話を戻しましょう。大学の入試問題を解く受験生になったつもりで、問題の文章を読み解こうとしてみます。


文体ではなく内容に注目すると、このコラムを書いた記者は、先日発表された代理出産に関して言及していることが分かります(最後の文、『ワタシのハハオヤのハハオヤ』という部分から)。
この朝日の記事によれば、『こうした代理出産は、家族関係が極めて複雑になる』ため、『日本産科婦人科学会(日産婦)は会告(指針)で代理出産を禁じているが、法律の取り決めはない』ということです。倫理的な問題はあるけれど、いまの日本では、法律上は問題はないということのようです。

私は、代理出産なんてただのエゴだと思います。子どもを産みたいけれど、産めない。悲しいことだと思うし、そのような夫婦に対する同情を惜しむつもりはないけれど、でも、普通の状態で無理なんだったら諦めるべきだと思うのです。
代理母となる女性の負担は大きいと聞きます。なんだって他人のために妊娠したり出産したりしなくちゃならないのでしょう。死産になるリスクもあるし、出産前後は仕事なんかもできなくなるはずです。でも、産まれた子どもは自分の子どもじゃない、と。そりゃないぜ、という感じです。しかも、商売にしちゃうと倫理的によろしくないから、産んだ人には謝礼とかほとんど出ないんじゃないのかな。まあ、実の母親なら、愛の力でどうにでもなるのかもしれないけど…。姉妹とか親戚とかって、きっと気まずいと思います。


私の意見はさておき。記者は、なぜあのような電波な文章を書いたのでしょうか。
もし記者の目的が、目立つ文体で書くことによって、普段は朝日なんか読まない人たちにも天声人語を読ませ、代理出産について考えるきっかけを与えようということならば、おお、お見事、その目的は達せられましたね。少なくとも私は、1日かけて代理母のことを考えたわけです。なるほど、さすが朝日新聞だ。影響力があります。
誉め殺しはこの辺にしておいて、もう少し深く考えてみます。記者の執筆時の精神状態が正常ではなかったなどの可能性は排除します。クスリをキメてたとかもナシです。「なんかサイコってかっこいいかもって思っちゃった」とかいう可能性も考えません。記者は真剣だった。そう信じて、考察します。
先に挙げた注目させるためという理由は、少なからずあったはずです。新聞1面の横1段に、漢字が一切無いというのはかなり目立ちます。だからこそ私も読むことができたのです。しかし、単に目を引くというメリットだけでは、ちょっと失うもの(いままで築き上げてきたブランドイメージとか)が大きすぎます。他にもメリットがあるはずです。
あっ、わかりました。これは電波とかサイコとかそういう意図ではなく、小学校低学年や幼稚園児などにも読んでもらいたかったんじゃないでしょうか。あの文章には、幼い子どもにも、産まれるとはどういうことか、生きるとはどういうことかを考えてほしいという願いが込められているのです。この世に生を受けるというのは大変なことなのだから、簡単に自殺したりするんじゃないぞというメッセージなんじゃないでしょうか。うん、なんか正解だという気がしてきました。


とかなんとかいって、やっぱり貶してますね。まあ、あんな文章を誉める気にはなれないので仕方ありません。結局、あの文章は、なにも主張していないんですよね。「胎児の視点から考えてみたらこんな感じかなー」というだけ。
胎児がなにかを考えているわけはないし、たとえ考えていたとしても、代理出産と通常の場合とで胎児の思想内容に違いが出るわけじゃない。産まれて来る子供にも、産む女性にも、その状況がどうであれ、優劣はないはずです。昨日の天声人語は、その優劣がないはずの部分を、皮肉ろうとしている。代理出産で産まれた子供は幸せにはなれないとでもいいたいのでしょうか。
代理母問題」について新聞社が論じるべき点があるとすれば、法整備の遅れだとか今後の対応はどうするべきだとか、そういうことだと思います。子供が遺伝上の母親の母親から産まれたという点の不自然さを指摘するのは、少なくとも大手新聞社がすることではないでしょう。
問題の文章の気持ち悪さは、指摘するべきではない部分のみを指摘していることから来ているんじゃないか、というのが今回の結論。


ちなみに、今日の天声人語はいつもどおり、最後まで読む気になれない普通の話題みたいでしたよ。