楽譜を書くことは、自分の考えを他人に伝えること

自分以外で曲を書いている人って書くときに何を考えながら書いているんだろう…?というのをよく思います。
まぁ、作曲か編曲かによっても違うと思いますし、何のために書いているのかというのにもよると思うのですが。

思考回路:楽譜を書くということ - livedoor Blog(ブログ)

私も趣味の一環で、知人のバンドのためにパソコンで楽譜を書いています。私はいわゆる「バンド」の音楽よりも管楽合奏に興味があるので、管楽器の楽譜はスムーズに書けるのですが、ピアノ・ベース・ドラムの楽譜を書くのにはいつも苦労しています。
ドラムに関しては、文法も記法もほとんど分からないのですが、奏者のセンスと能力を信頼しているので、いつも適当です。また、スラーやアクセントなどの発想記号、強弱記号などはほとんど書き込みません。これも、奏者のセンスに頼っています。作業が面倒でなければ書いてもいいんですけどね。

自分の場合は楽譜を書く時点で演奏する人が既に分かっているので、楽器のことを考えつつ、その人のことを考えつつ、その人が実際にそのフレーズを演奏していることを想像しながら書くのですが、これが例えば誰が演奏するのか分からない場合はどうなるのでしょうか?

私は、所属していた吹奏楽団のために3回ほど編曲したことがあります。
最初に書いた楽譜は、その当時の楽団のメンバのことを考えながら書きました。そのため、普通の吹奏楽団とは異なる編成を想定したものになっているし*1、一部のパートには、一般的には要求されない技術を求めています*2
当時は私も楽団で演奏していたので、合奏練習のときに注文をつけることができました。楽譜にミスがあったり、曖昧な部分があったりしても、あまり気にする必要はありませんでした。ところが、私が楽団をやめたあともその楽譜は演奏され続けることになったため、改訂版を書くことになりました*3。楽譜の不十分な箇所の修正を、奏者のセンスに委ねるリスクを避けるためです。


三味線やクラシックギターマンドリン奏者との共演企画に関わったこともありました。このときは、それぞれの楽器群がどんな音を出すのか、どんな音楽が得意なのかが分からず、なかなか大変でした。参考演奏を聞かせてもらったりしましたが、結局、餅は餅屋ということで、自分たちのやりやすい演奏をするというやりかたに落ち着きました。
想像できない音を演奏することはできませんが、想像できない音を楽譜に記すこともまた難しいのです。


楽譜とは、作曲者と奏者をつなぐための手段です。作曲者と奏者の距離が近いときには、練習時の対話などで楽譜を補完することもできますが、多くの場合は、楽譜が唯一の情報伝達手段となります。
たとえば、ある音符の奏法を伝えるために、作曲者は、スタッカート、アクセント、アクセント・スタッカート、アクセント・テヌートなど、さまざまな発想記号を楽譜に書き込みます。この作業はまさに『頭の中にある楽譜』の写譜といった感じです。これらの作業をサボると、奏者に作曲者の想像した音が伝わらず、意図しなかった音楽が再現される可能性が出てきます。まあ、それもまた面白かったりするのですが……。


マチュアの演奏者は、演奏するのが難しいからといって楽譜を簡単にしてしまうことがよくあります。本来は、あまりいいことではないのですが、作曲者の意図・要求が理解できていれば問題ないようにも思います。作曲者はプロの演奏家が出す音を想像していたのかもしれないし、楽器のことを十分に理解していなかったのかもしれません。

楽譜に書かれた曲を演奏するということは、作曲者の脳内で鳴っていた音楽を再現するということですが、ただ再現するだけというわけでもありません。その奏者にしかできない演奏というのは必ずあるわけで、単に楽譜に書かれている音を書かれたように並べるだけでは、作曲者は十分に満足できないでしょう。
楽譜を書くことは、自分の考えを誰かに伝えることです。そして演奏するということは、誰かの考えたことを自分のなかに取り入れ、咀嚼したものを誰かに伝えるということだと思います。

*1:具体的には、ユーホニアムが2パートあったり、クラリネットが2パートしかなかったりする。打楽器も最低1人いれば演奏可能になっている(たしか3パートあるけど)。

*2:具体的には、ホルンにHi Fを出させたり、バスクラリネットが無駄に高音域でメロディを演奏したりする。

*3:団の編成を意識したままだったので、結局β版ということにした。