炊飯すらコンテンツ

先日、Ustreamで土鍋による炊飯の様子を配信した。これを直前にTwitterで知らせたところ、@sasamistreetをはじめ、8名ほどが観ていたようだった。
土鍋による炊飯といっても、せいぜい火加減を調節したり、最後に炊き立てご飯ができたりするくらいで、派手なことが起きるわけではない。炊き始めから炊き上がりまでの間、私(id:f_iryo1)が調理方法の説明をしたり、鍵盤ハーモニカについて喋ったりしているという配信だった。Viewer全員が真剣にUstreamを観続けていたわけではないだろうが、数十分に渡って私が喋るのを聞いている人がいるというのは面白かったし嬉しかった。
テレビの料理番組は案外面白いもので、作る予定がなくてもつい見てしまうけれど、あれはプロの料理人とプロの喋り手が十分な準備の下で行っているから面白いのだろうと思っていた。ところが、土鍋炊飯を始めてまだ2度目であり、喋るのはどちらかというまでもなく苦手なid:f_iryo1による配信が、コンテンツとして成立した。
たぶん、あの配信を見続けていた人たちは、土鍋炊飯を観たいわけではなかったのだと思う。f_iryo1による土鍋炊飯を見ていたのだろう。私が他の人たちのUstreamを観るときは、大抵そうだ。その内容自体も面白いが、知っている人が喋っているということに面白さがある場合も多い。


私がいた高校の吹奏学部では、年に1度、演奏会を行っていた。吹奏楽の「強い」高校ではなかったが、演奏会の客席はいつも満席だった。観客のほとんどは、部員の家族や友人だ。客たちは音楽を聴きに来ているのではなく、自分の子どもや兄弟、友達が演奏している姿を観に来ていた。*1


最近の私のネットの楽しみ方は、この状態に近いように思う。
直接の知人のサイトやブログを読む交換日記的な楽しみ方から始まって、制作者に関係なく内容の面白いものを探す楽しみ方へと移り、今度はネットを介して知った人たちを見ることで楽しんでいる。
Ustreamでは、Wiiで遊ぶ姿も、忘年会の中継も、童謡の朗読も、炊飯すらもコンテンツになる。なんだかよく分からないけどWeb2.0ってこういうことか?と思った。

*1:これは批判ではない。少なくとも私は批判すべきではないと思う。この話はまた別の機会に。