「売れる音楽」は、少なくとも売れるという価値がある

知人のブログで「売れる音楽」という記事を読んで、少し気になったので書きます。
『売れる音楽はいいのか?いい音楽は売れるのか?』という話。

まず「売れる音楽はいいのか?」」っていう疑問はオリコンチャートを見れば一目瞭然。お笑い芸人だとかアイドルグループの曲が上位にランキングされているのは音楽が素晴らしいからではなく、買い手側が音楽以外の部分に魅力を感じているからだ。

http://blog.livedoor.jp/mekeha/archives/51376898.html

「いい」を定義してください、という話になってしまうのですが、言いたいことは分かります。
売れているものが、売れるという観点以外から評価したときに素晴らしいとはいえないということは、音楽に限らずよくあることです。
大ヒットしたらしい「恋空」は未読ですが、世間の評判を聞くところでは、内容は素晴らしくはないようです。「世界の中心で愛を叫ぶ」も大ヒットしたといっていいと思いますが、あの小説が芥川賞を取れたか、というとたぶん取れない。


ただ覚えておきたいのは、「売れる」ということは、少なくとも多数決を採用する世界においては正義であろうということです。
いくら「恋空」が内容的に「スイーツ(笑)」としかいえないようなものだったとしても、それを「いい」と評価して購入した人たちが有意に観測できる程度に存在する、ということは認めなければならないのではないかと思います。アイドルグループの曲だって、「アイドルグループが歌っているからこそ「いい」んだ」と評価する人にとっては「いい」音楽です。

元の記事でも『"いい"っていうのは各個人で異なるアヤフヤな感覚』という指摘がありますが、その通りで、「アヤフヤ」だからこそ数字としてはっきり見える「売れる」という価値基準が生まれるのでしょう。

また、「売れてるから・流行ってるから買う」という価値観は批判するべきではないとも思います。もちろん「マスメディアに踊らされているだけだ」と批判することはできますが、では世の中に流通するすべての音楽を自分で確認したうえで評価することが出来るのかといえば、そんなことは不可能です。
評価するためには、何かしら他の事前評価が必要です。その参考にするものが信頼できる批評家のレビューなのか、マスメディアの広告なのかという違いは、機会の違いであるだけで、質の問題にはならないと思います。信頼できる批評家のレビューをそのまま真に受けて購入するのならば、それも「踊らされているだけ」ではないでしょうか。


「いい音楽」が売れた例として、昨年末の紅白歌合戦で歌われた「千の風になって」があげられそうです。あの曲は、「いい」と「売れる」のどちらかといえば、「いい音楽」に部類されるでしょう。セールス状況は分かりませんが、しばらくの間オリコンチャートに入っていた記憶がありますから、かなり売れたのではないでしょうか。

最後にひとつ、「いい音楽には高い値段が付く」という例を挙げておきます。
ちょうどdiary.kuri_saxoに記事が載っているのですが、アストル・ピアソラ「AA印の悲しみ」という曲の1986年ライブ版。kuri_saxo氏は「自分が死ぬ前日に必ず聴きたい音楽」と書いています。

AA印の悲しみ

AA印の悲しみ

このCDは廃盤だそうで、Amazonで現在24800円になっています。原価がいくらか分かりませんが、10倍くらいになっているのでしょうか。

「いい音楽が大衆受けする」とは限らないけれど、「いい音楽」にいい値段が付くことはあります。
「いい」と「売れる」はまったく交換不可能ではないということです。
「内容的に素晴らしい音楽」がどんどん売れるのが理想的なのではあるでしょうが、「売れてる音楽は内容的にも素晴らしい部分がある」くらいに考えた方がよいのではないかなと思います。