特別でない音楽がもっと街にあふれるように

天久保オールスターズバンド(略称:あまスタ)の一員として活動している。このバンドの主な活動は、つくば駅周辺の路上などでのストリートライヴだ。
屋外で演奏していると、足を止めて聞いていってくれる人たちがいる。むしろ足早に通り過ぎていく人たちもいる。いろんな人がいる。
「演奏するからには、たくさんの人に自分たちの音楽を聴いてもらいたい」という考え方がある。あまスタのメンバの多くも、そういう考えを持っているのだろうと思う。
私は、少し違う。私たちの演奏する音楽は、決して、大層なものなんかではない。卑下するつもりはないけれど、芸術的な意味でも商業的な意味でも、別に大したものではない。聴いてもらえれば嬉しいし、拍手をもらえればもっと嬉しいけれど、「もっとたくさんの人に聞いてもらいたい、聞いてもらうべきだ」とは思わない。


私が天久保オールスターズバンドの活動を通して行いたいのは、かっこよく言えば、「アマチュアの演奏者による音楽が、街に自然にあふれている社会の形成」だ。

あまスタのウェブサイトでは、活動情報の告知を行っている。誤解を恐れずに言えば、私は、ライヴ情報を見て聞きにくるお客さんは あまスタには必要ないと思っている。「あまスタの演奏」が、特別なものである必要はないと思っている。
もちろん、ファンがいてくれるというのは大変嬉しいことだ。活動のモチヴェーションも高まる。しかし、私が本当に目指したい形は、「今日はあますたのライヴは見逃したけれど、別のバンドが数時間後にストリートライヴをやってるのを見られたから別にいいか」というような状況だ。そのくらい、自然な形で街中に音楽があふれている状態がほしい。


「音楽を聴くこと」が特別なことになりすぎている。そして「音楽をやること」も特別なことになりすぎている。
たしかに、音楽は、特別なものだ。ものすごいパワーを持っているし、本当に素晴らしいものになりうるものだと思う。だけど、だからこそ、音楽を特別なものにしてしまいたくないと思う。

「音楽で食っていきたい人たちにお金が回る社会」を作りたいか、「アマチュアの音楽をたくさんの人が楽しめる社会」を作りたいか。俺は後者だと思う。

http://twitter.com/ffi/status/1509418038

そんなのは別にどっちだっていいんだけれど、私たちにとって音楽が、「プロが作ったものをお金を払ったり不法ダウンロードしたりして聞く、特別なもの」であるよりは、「いつも自然に周りにあるし、いつも自然に生み出しているもの」であってほしいなと思う。
あまスタの活動は、私にとっては、そういう意味を持っている。