地震予報は常にデマであるということと、情報を拡散することの無邪気な凶悪さについて

Twitter はデマに弱い。いや、たぶん、私たちはデマに弱いのだろう。
あまり長く書きたくないので、 twitter への投稿をいくつか転記する程度にする。

地震はそんな都合よく予知できないし、私たちがするべきことは、少なくとも、憶測による情報を無責任に拡散することではないはずだよ。

明日もしかしたら大地震が、なんて、何十年も前から言われてんだよ。だから私たちは、地震に対抗しうる建築をし、部屋のなかの本棚とかタンスとか倒れないようにって注意喚起してきたんですよ。

なるほど、たしかに、地震に対する注意喚起はいつだって繰り返し必要だよ。でも、いたずらに不安を煽ることと注意喚起は別物。「日時の予知はできない」という基本的で重要な事実を知らないで拡散される情報に価値はない。

きっと、彼らは、「本当に災害が起きたとき」、平気でデマを流すんだよ、善意でね。津波のときがそうだった。私たちは惑わされないかもしれない。でも、善意によるデマによって、確実に、起こらなくてよかった悲劇は起きるんだよ。

ひとつ、重要なこととして、地震予測は可能になりつつあるが、「今夜から3日以内に大地震が……」といった予測は、できない。だから、日時を区切った情報は、かならずデマであると言える。
「憶測を無責任に拡散しているというが、見方を変えると、防災の必要性を再周知していることにならないか」という意味の指摘があったが、これは身勝手な主張だと思う。たとえ事実であっても、むやみに切迫した恐怖とともにそれを伝えることは、正義であってはならない。
上記、引用の最後の部分に「津波のときが」とあるが、これは今年2月28日の太平洋での地震による津波のとき、「津波って50cmでこんなヤバいんだぞ」というコメントとともに、50cmどころではない津波の映像の YouTubetwitter で話題になったことを指している。


Twitter での情報の拡散について、いくつかの深刻な問題がある。デマの流布。「非公式ReTweet」による、一次情報の欠落と、それに伴って起こる誤情報の伝播。それらがノイズとなることで、事実が届かなくなること。状況が変わったことが伝わりにくいこと(起きた事件が解決したあとも、事件発生を伝える tweet が際限なく拡散される)。
もう、どうにもならないのだろうと思う。私たちが情報とともに社会に生きている以上、情報に振り回される人々によって、私たちは振り回されるのだと思う。
それでも、私がこうして指摘し続けることで、少しでも状況が悪くならずにいられたらよいかなと思う。