「歌えちゃったんだよね」と話した初老の歌手のことをときどき思い出す。

私が20歳くらいのころに出会ったテノール歌手が話していたことを、ときどき思い出します。
その方とは、ある小さなコンサート会場でお会いしました。私もそのテノールの方も、お客として来ていました。小さなコンサートだったので、終わった後のささやかな打上げに同席させてもらえることになり、その方も参加され、そこで少し話をしました。
50代後半くらいだったように記憶していますが、よく覚えていません。お名前をうかがって、しばらくは覚えていたものの、もう忘れてしまいました。あの夜以来お会いしたことはありません。しばらく劇団四季で歌っていた時期もあったとか。
「歌えちゃったんだよね。だから、他のことはあまり考えてこなかった。そのせいで、いま、ちょっと苦労してるんだけどね」
若い頃から歌うことが好きで、歌うことが得意で、だから歌うことを職業にして、いままでやってきた。働くとはどういうことかとか、どう生きていくのかとか、特に何も考えずにきたけど、どうもそれではマズかったらしい。これから引退していくのか、少しやりかたを変えて続けていくのか、まったく新しいことをいまから始めるのか、そんな決断を、この年になって急に突きつけられるのはちょっとキツイね。そんなことを話してくれました。
その歌手の方がまだ歌ってらっしゃるのかどうかを、私は知りません。まだ歌っているのだったらいいなという気持ちが少しあります。
「出来てしまう」ということは、必ずしも幸せではないのだと教わりました。見ずに済んだのなら見ないままでよかった夢、というのがあるのかもしれません。
いや、そういう「夢」はたしかにあるのだと思います。たまたま他人よりも少しだけ優れていてしまったがために、見ないわけにはいかなかった夢。そこから目覚めることが正しいことなのか、そのまま夢を追い続けることが正しいことなのか、どうして分かるでしょうか。
彼の話を聞いてから7年ほど経ちました。ときどき思い出して、相変わらず、特に答えは探しません。