並んだパンを見て考えたこと

ちゃんと論文っぽい感じに書こうと思ったんですが、面倒になってきたので、ちゃかちゃかと書きます。


◆幼稚園とか小学校とかだと、牛乳パックとかトイレットペーパの芯とかスチロールのトレィとかで工作をさせる。あれは、捨てるはずのものを材料にしているからお金がかからないよ、ってことなんだと思う。もし、工作のために画用紙やスチロールやアクリル板なんかを買わなきゃならないんだったら、面倒だし、お金がかかる。
でも、私の実家では、例えばトイレットペーパは芯がないものを使っていたから、いくら工作で使うからといわれても、幼稚園にもって行くことはできなかったりした。そのためにわざわざ芯のあるトイレットペーパを買うのは、面倒だし、お金がかかりますね。


◆食パン3700枚って、いくらくらいかかったんだろう。6枚で100円としても、6万円以上。仲良くなったパン屋のおばちゃんに譲ってもらったりもしたらしいけど、ほとんどは量販店で購入したらしい。うーん。
でも、大きな油絵なんかだったら、描くのには相当量の絵の具を使うわけで。もちろん時間もかかるし。塑像なんかは、さらにお金かかりそうだ。ひとつの作品に何十万もかかってたりするんだろうな。


◆「もったいない」ってなんだ。


コンビニエンスストアで働いている。以前はファストフード店でも働いていた。毎日、かなりの量の食品が捨てられている。食べ物を扱う商売は、みんなそうだろう。
商品を作る過程でも、たくさんの「食べられるもの」が捨てられている。『おいしいところだけを贅沢に使った商品』は、十分においしい他の部分を捨てている。
市場流通量の調節のために、余分に収穫された作物が捨てられている。一部でちょっとした病気が流行ったせいで、感染の可能性が低い家畜が大量に殺されている。
そういう仕組みの上で、私たちは生活している。


◆食べ物で遊んではいけないのか? それが遊ぶためのものではないから、食べ物で遊んではいけないのか?
観賞のために熱帯魚を飼うことは間違っていないのか? 魚は観られるために生きているのではないのではないか?


◆もし、あの作品が、食品以外のものでできていたら、きっとそんなに面白くなかっただろう。ドミノをたくさん並べても、『すごいね』という感想しか生まれない。それは、ドミノはたくさん並べるためのものだからだ。
開封されていない板チョコだったら、どうだろう。食パンほどの衝撃はない。まだ、食品としての機能を保っているからだ。
食品を食品でなくしてしまう行為が含まれているからこそ、あの作品は面白いのではないだろうか。

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また考えがまとまったら書くかもしれません。


追記:この記事についたコメントに対する私の考えなどを、こちらに少し書きました。http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061108/reply