レミファラシ

フレーズの独自性とか、訴求力のあるフレーズとか、そんな話。


2年半ほど前に作曲された、伊藤康英の「フルートダモーレ協奏曲」のなかで、最も感動的な位置に置かれている音列が、『D E Fis A H(レ ミ ファのシャープ ラ シ)』だ。前半の4つの音は8分音符で上行し、5つ目のシの音で2分音符分ほど伸ばす。
同じ音列・音形が、中村中(なかむらあたる)の「友達の詩」にある。サビの、『手をつなぐ』という部分が該当する。
先日鑑賞した自主制作映画の挿入曲にも、同じ音列・音形が印象的に使われていた。この曲の作曲者は分からないが*1、映画のオリジナル曲だと思われる。


これらの同一性について、『パクりだ!』と言えるだろうか。言えないだろう。
美しいメロディは無限に生まれるが、それを構成する美しいフレーズは、有限だと思う。『レミファラシ』というフレーズを元にして作ることができるメロディは無限にあるけれど、『レミファラシ』と同じくらい訴求力のあるフレーズには限りがあるだろうということ。
作曲をするときは、つい、いままでに聞いたことのないフレーズを書こうとしてしまう。その心意気も間違っていないとは思うが、少しずれているのかもしれない。どんな素材を作り出すかということよりも、素材をどう料理するかということの方が、重要なのかもしれないなと思う。

*1:エンドロールを凝視していたけれど分からなかった。