「どんだけぇ」に出会うのが怖い

テレビを観ないので、流行にはかなり疎い。だが、ネットがあるので、流行しているということをなんとなく知ることはできる。
いま、「どんだけ」*1という言葉が流行っているらしい。このごろ、ときどき、ネット上で目にする。昨日、DPZこの記事の中ほどに、『※「どんだけぇ〜」とは、今年のオカマ流行語です。』と書かれているのを見つけて、少しニュアンスが分かったような気がする。


とりあえず私はオカマキャラは嫌いだし、よりによってテレビ発祥の流行語を使うようなことはしたくないのだが、「どんだけ」という言葉は日常的に使うので、少し困っている。なにしろ、もとの「どんだけ」を音声で認識したことがないので、自分では普通に「どんだけ」と言っているつもりでも、聞いている人に『こいつテレビ見ないとか言ってるくせに、ダサい流行語なんか使ってやがるぜ、けけけ』などと誤解されるかもしれない。それは嫌だ。くだらないことではあるが、そんな誤解を受けることは避けたい。

私が聞き手になったときに、相手から「どんだけ」と言われる可能性もある。こちらの方が厄介だ。私には、相手がギャグのつもりで言っているのか、ギャグのつもりではないのにうっかり言ってしまい、そのことを自覚しているのか、あるいは私と同じように「どんだけ」について無知なままに言ったのか、判断できないだろう。相手が明らかにギャグとして言っていることが分かれば、私も調子を合わせて笑ったりできる。だが、その場合、その相手は、私を「どんだけ」を認識している人間だと判断するだろう。これは不本意だ。非常に不本意だ。

また、もしかしたら「どんだけ」には専用の受け答え方があるかもしれない。「どんだけ」は、ボケかツッコミかでいえば、おそらくボケだろう。「どんだけ」と言われた方はなにか気の利いた呼応を求められるのかもしれない。そんなことは私にはできないが、調子を合わせて笑ったりしたら、ツッコミ方を知っていると判断されてしまうかもしれない。それは困る。非常に困る。

それならネットで調べればいいのではないかとも思うが、調べない。こんなことをわざわざ調べたくない。
いつか、どこかで、おそらく突然、私は「どんだけ」に遭遇するだろう。それは、たまたまテレビを付けたときかもしれないし、街で高校生のグループとすれ違ったときかもしれない。ひょっとすると、私に向かって「どんだけ」という言葉は飛んでくるのかもしれない。そのとき私は冷静でいられるだろうか。「どんだけ」のことを考えると、怖くてたまらない。

*1:面倒なので、「ぇ」は省略