吹奏楽コンクールで勝つより、カラオケの伴奏できる方が偉い

以前所属していた大学の吹奏楽団が、吹奏楽コンクール県大会を突破したそうだ。メンバの皆さんの頑張りには頭が下がる。お疲れさまでした。おめでとうございます。


吹奏楽コンクールというのは、どうも批判的に論じられがちだ。批判のポイントはいくつかあって、純粋な「音楽」としての観点が乏しいだとか、音楽は勝負事ではないはずだとか、厳しい時間制限のせいで音楽的ではない操作(曲のカット)が行われているだとか、そういったことがもう何年も論じられている。それでも吹奏楽コンクールが日本の吹奏楽界の発展に貢献していることは間違いのないことだし*1、これからもほとんど現状と変わらないまま続いていくのだろうと思う。


ところで、私の所属していた大学の吹奏楽団では、「となりのトトロ」メドレーという曲をときどき演奏していた。いまも演奏しているかもしれない。このメドレーのなかに「さんぽ」という曲が入っている。メドレーなので1番までしかないのだが、実際には3番まである。あるとき、この「さんぽ」を通して演奏して子どもたちに歌ってもらおうということがあった。楽譜を3回繰り返して演奏するのだが、実は「さんぽ」の3番は、転調して半音高いキーになる。このとき指揮を振った講師の先生は「映画を観ている子どもたちは転調することを覚えているから、演奏も転調しなくちゃ」と言って、奏者に半音上げて演奏することを要求した。これはそんなに難しいことではないのだが、簡単なことではない。講師の言葉は絶対であったので奏者は必死に食らい付いて演奏したが、半音上げが即座にできない学生は多かった。
最近のカラオケでは、キーの操作は簡単にできる。自分の声の出しやすい音域に合わせて、伴奏を半音上げたり下げたりすることができる。生演奏をするバンドでも、プロであればこれは簡単にできるだろう。「流しのギター弾き」なんて職業が今でもあるのかどうか知らないが、歌う人間に合わせてキーを変えることができなければプロではないだろう。


吹奏楽コンクールで勝つということは、ひとつの価値観に過ぎない。その価値観はけっして間違ったものではないが、音楽に取り組むにあたってはそれだけの価値観であるべきではない。
音楽を通して得られるものはいくつもある。バンドを組んでストリートライブをして、聞いてくれるお客さんと同じ目線に立つのもいい。アンサンブルを組んで、コンサートを企画して、選曲をして、会場を手配して、宣伝をして、そういうことを全部自分たちで行うのもいい。定例になってしまっている定期演奏会に、地元の中高生を参加させてしまう企画を立ててもいい。「音楽」としては狭いジャンルである「吹奏楽」という立場であっても、考えられる価値観はたくさんある。
コンクールで勝つことよりも「さんぽ」の半音上げが即座にできる方が偉いのかというと、それは違う価値観なのだから比べられるものではない。けれど、少なくとも、片方しかできないよりは、両方できた方がいいのはたしかだろう。
夏は、吹奏楽の世界も熱い。吹奏楽コンクールはたった1曲か2曲しか演奏しないけれど、どうせ時間をかけて練習するのなら、全調スケールくらいは日々の基礎練習に加えてくれたらいいなと、少し年を取った元吹奏楽部員は思うのだ。

*1:コンクールのために毎年たくさんの新しい曲が作曲されている、という点だけでも十分な貢献だろう。