弱い人のためというか、あのときの自分の救済のために

大学を中退してから、もう、4度目の夏である。早いものだ。あれからいろいろなことがあった。

最初の1年間はフリータだった。コンビニエンスストアでの夜勤が生活のほとんどだった。次の春から、通信制の短期大学に通い始めた。思い立って簿記の勉強を始め、6月の試験で日商2級に合格した。その年の夏から少しずつハローワークに通い始め、暮れに派遣会社に拾われた。最初は週3日の勤務で、たいした内容の仕事でもなく、働けることは嬉しかったけれど、結局8ヶ月ほどで辞めた。辞めたのだけれど、同じ派遣会社で、今度は別の仕事をさせてもらえることになった。大学を辞めて2年半、とある会社の財務部でフルタイムで働き始め、その半年後に結婚した。そろそろ結婚して半年になる。

自分が「普通の大人」みたいになっていることに驚く。大学を中退したにも関わらず。


大学を辞めた理由は、なにかうまくいかなくなってしまったからだった。登校拒否。授業に行くことができなかった。そのうち、一人暮らしをしている部屋から出ることもできなくなって、絶対に自殺だけはするまいと思っていたけれど、栄養失調で死にかねないし、できることなら死んでしまいたいと思っていた。

自分は何者かになれると思っていた。ナニモノカになれる素質があるはずだと思っていた。周りの学生たちが眩しかったし、それでいながら馬鹿にしていた。勉強は楽しいのか楽しくないのかよく分からなかった。他人と話をすることができなくて、部屋のベッドにもぐって放心していた。

最後に出席した授業のことを覚えている。思い出せるようになったのは、つい最近のことだ。2コマ続きの、経済学かなにかの授業。4月か、9月か、その学期の最初の授業だった。大教室は学生でいっぱいで、講義中もなんだかずっとざわざわしていて、とにかく不愉快だった。周りの学生がとてもレベルの低い人間たちだと思い、こんな連中と同じ空間にいることが苦痛だと感じ、休み時間に退席した。それが、大学の授業に出た最後だった。


いつだったか、おそらく大学を辞めることを決めたころだろう。のちに妻となる女性に話したことがあった。

「自分みたいな人たちのためになにかしたい」

いま考えてみれば馬鹿な話だと思う。なにもできなくて大学を辞めるというのに、他人のために活動したいなどという。でも、当時はそこにリアリティがあった。

「自分は頭が悪いわけではないのだが、なにかうまくいかなくて、積極的に外へでていくことができない。世の中にはそういう人がたくさんいるはずで、そういう、社会にうまく適応できない人たちのために仕事を斡旋したり社会復帰を応援したりするNPOみたいな組織があっていいと思うし、そういうことをやりたい」。大学を辞めるころの私はそのようなことを考えていた。


さて、気がつけば私はずいぶん元気になった。他人に会うために出かけていったり、自分で企画してイベントを動かしたり、いろいろできるようになった。

いまの職場ではなかなか活躍していると思っているし、評価も高いようだ。先日の契約更新のとき「大学中退なのは知ってるけど、それだと給料あまり出せないから、大卒程度って扱いにしたよ」と言われて、素直に嬉しかった。「学歴なんて関係ない」をひとつ実現できたということも嬉しかった。

そうしているうちに、私は忘れてしまっていた。うまく動けない人たちのためになにかしたいと考えていたことを。

だって、もっと元気な人たちと一緒にいた方が、いろいろとおもしろいのだ。元気でおもしろい人の近くにいくためには、自分もある程度は元気でそれなりにおもしろくなくてはいけない。「自分と同じような、社会にうまく適応できない人」が「かつての自分みたいな人」になっていく。まだまだ私は弱いのだけれど、そのことを次第に忘れていく。


私がしなければならないことはなんだろう。あの、大学に行けなくなったころの自分、大学を辞めることにしたころの自分は、いまの私を見てなんと言うだろう。裏切られたと思うだろうか。よく頑張ってるなと褒めてくれるだろうか。

おそらく私がしなくてはならないのは、「かつての自分と同じようにドロップアウトしてしまった人たちを助けること」なのではなく、「かつてドロップアウトした自分が救済されるような人生を送ること」なのだろうと思う。
他人のために生きるのは難しくて、自分のために生きればいいと思うし、自分のために生きて救済されるならば、それは同じようにドロップアウトした人たちにとっての救済にもなるかもしれない。


まだまだ、どうしたらいいのか分からない日が多い。あのとき考えたことをずっと覚えている必要があるのかどうか、それさえよく分からない。ただ、時間はかかっても、よい方向に変化していければいいと思っている。


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