職人を継ぐ人がひとりいるくらいじゃ職人芸は引き継げないという話

縁があって、オーダメイドのスーツを作っている洋裁職人さんにスーツを作っていただけることになった。なにぶん斜陽産業で忙しいわけでもなく、というか職人さんが話し好きなのだろう、お茶をいただきながら話を伺った。

スーツのデザインにも流行がある

スーツのデザインなんて気にしたことはなかったけれど、やはりファッション、けっこう流行があるらしい。最近はとにかく細身がブーム。丈の長さとか、前開きの深さとか、襟の角度とか、裾の処理方法とか、ポケットの位置とか、なにからなにまで流行がある。
職人ではあるけれど、当然、流行はちゃんと感知していて、サンプルとして「LEON」とか「MEN'S NONNO」とか置いてあった。でも、極端なファッションにはやっぱり周期があって、だから私にも「あんまり細身にしても、動きにくいしねえ」なんて言って、だけど十分に若者らしい、スタンダードだけど古臭くない、そんなデザインで作ると言ってくれた。

職人としての逸話

いまどきオーダメイドのスーツなんて作ってる人自体ほとんどいなくて、その時点で『職人』認定していいと思うんだけど、こんな話がある。
スーツの裏地にする生地は、いまは化繊が主流、というかほぼ化繊なのだそう。だけどその人は「アルパカがいいんだよ」なんて言って、お客が望めばアルパカの生地を使っていたらしい。ただ、そんなに扱いやすいわけでもなく(たぶん大量生産にはぜんぜん向いていないのだろう)、もう生産自体がなくなってしまった。最後までアルパカ生地を買っていたのは、その店と、あともう1店だけだったそうだ。

金のことを考えたら廃業する

いい仕事をするためには、お金がかかる。
たまに持ち込みのお客さんが来て、スーツの直しを頼まれたりする。量販店の化繊100%の生地なんかだと、それにハサミを入れたら、間違いなくハサミは使い物にならなくなる。砥ぎ直せばいいんだけど、自分のところで砥ぐのでは足りないから、金物屋に頼まないといけない。スーツの直しでもらえる代金より、ハサミの直しにかかる代金のほうが高いから、儲からない。そんなときは仕事を断るしかない。
だけど、職人にもいろいろいて、足が出ることが分かっていても仕事を引き受けちゃうような人もいる。反対に、そういう安い生地専用に、100円ショップで売ってるような安いハサミを用意しておいて、それで仕事を引き受けるような人もいる。後者なら、儲けが出せるし、お客は増えるのかもしれないけど、そういう仕事は『職人』がすることじゃないよなと話す。
私は、ちゃんとした仕事をしたいと思っている職人さんに、ちゃんとお金が回っていく仕組みは作れないのかなと考える。

道具屋がつぶれたら職人もつぶれる

指物師なんかを養成する職能学校があるらしい。先日、若い女性が新しく入ったと話題になっていたが、製品を作る職人だけ育てたところで、「職人がいるというシステム」を維持することはできないのだという。
前述の、ハサミの砥ぎ直しを頼む金物屋。業界では有名な店なのだそうだけど、やはり高齢で、もうあまり仕事をしたくないらしい。この金物屋のハサミがなかったら仕事ができないか、というと、絶対にできないということはないけれど、安い道具で仕上げた仕事を『仕事』と呼んでもいいのかというと、そこは職人としての矜持が残っているから、やっぱり道具屋がつぶれたら職人もつぶれるしかないという。
アメリカなんかでは、そういうサポートをもう10年くらい前からやっているのだと言っていたけど、詳しいことは分からない。

職人に生き残っていてほしいだろうか

その仕立て職人は、親がやっていた洋服屋を継いだけれど、子供たちには早い時期から「継がなくていい」と言っていたという。もっと安定した生活のほうが、やっぱりいいと思ったのだろうか。
職人には、ボーナスもなければ退職金もない。当然、どんどん人口は減っているけれど、需要がゼロになるのはまだ先の話で、だから、いま職人やってる人のところには、案外いつまでも仕事の依頼は来るらしい。
その洋服屋がある場所は、昔ながらの商店街みたいなところで、近くに「金網屋」がある。老夫婦が、ずっと金網を作っている。帰りがけに寄ってみたら、仙人みたいなおじいさんが、土間に腰をかけて、鎚で木枠に金網を打ち付けていた。92歳だという。こんな仕事ができる人はもう県内にはいなくて、いろんなところから仕事を頼まれるそうだ。


『ほんものの』職人たちに、生き残っていってほしいだろうかと考えてしまう。「多様性」なんてキーワードを使うのは失礼だと思うし、「生きがい」というのもなにか違う感じがする。
ただ、せっかく作ってもらうスーツを、これから体型が変わったとして、そんなとき気軽に「直してやるから持って来いよ」なんて言ってくれる洋服屋がなくなってしまったら、やっぱり困るし、寂しい。
きっと、「職人」という生き方は、これまでもこれからも、切り捨てられていくライフスタイルで、「プロジェクトX」みたいなテレビ番組なんかで過度に美化されるばかりで、結局、続けていくのはすごく難しい。だけど、身勝手ではあるのだけど、「職人という人たちがいる社会システム」は、維持していってほしいと願わずにはいられない。そのために私たちができることは、たぶん、「職人が作った製品を、適正な価格で購入する」ことくらいしかないのかもしれないけれど。