学校の宿題くらい、インターネットからパクってくればいいと思う

やや不本意ではあるけれど、このブログで一番アクセス数の多いのは、以下の記事だ。
「意見文 パクリ」で検索してくる人が多いから、パクリOKの意見文を書いておく - うしとみ
アクセス解析結果によれば、この8月の総アクセス数のうち49.59%が、この記事へのアクセスだ。夏休み特需!
当該記事へのアクセスだけでなく、このブログのなかで「意見文」に使いやすそうな記事をまとめた「「パクりフリー宣言」をします」という記事にも多くのアクセスがあるし、そこから各記事を読みに行っている人も少なからずいる。こんなコメントが付いているくらいで、実際、夏休みが終わる中高生の役に、多少は、立っているのだろう。なにぶん相手は子どもなので、子どもっぽいコメントが付くこともたびたびある。読んだ人が著しく不愉快になると予想できるコメントは黙って削除している。


さて、タイトルの話に移ろう。
学校の宿題というものは、自分の力でやり遂げるべきものだし、決められた提出期限までに完成させるべきものだ。学校の宿題に限らず、なにごとにおいても、自分でやり遂げるべきだろうし、期限までに終えるべきだろう。それは正論だけれど、理想主義すぎると私は思う。
ドラえもん」や「ちびまるこちゃん」のなかでも、主人公が友だちの宿題を丸写しさせてもらっているシーンが、たぶんあったと思う。それは「ホントはやってはいけないこと」だけど「まあ、やっちゃってもいいよね」というニュアンスで描かれていたように思う。
友だちの宿題の丸写しは、あきらかに「やってはいけないこと」のように見えるが、では、家族に手伝ってもらうのはどうなのか。あるいは、科学館や博物館などの「夏休みの自由研究お助け企画!」なんてイベントに参加して、そこで教えてもらったとおりにレポートを作って提出することは、「やってもいいこと」なのか。
「自分の力で課題をやり遂げること」に夏休みの宿題の意義があるのだとすれば、友だちの宿題を丸写しすることは、その意義に反しているとはいえないだろう。友だちに宿題を写させてもらうためには、宿題をちゃんとやっている友だちを探し出して、自分に貸すように頼まなくてはならない。さらに、自分の力で真面目にやったように装って提出する度胸も要求される。これらのことは、社会を生き抜く上で重要なスキルの一つだと言えないだろうか。


学校の宿題は、真面目にやればやっただけ、学生自身の血となり肉となるものではあると思う。ではあるけれど、自分の苦手なことについて、自分の自由な時間を削ってまで必死になって取り組むべきものだとは思わない。
絵を描くのが好きな人なら、絵を何枚も描いたらいい。本を読むのが好きで、その感想を他の人に伝えるのが好きな人なら、読書感想文を書いたらいい。私たちは、好きなことのために時間を使うのは惜しくないけれど、好きでないことのために時間を使うのは馬鹿げていると思わずにはいられないし、実際、馬鹿げている。
「大人になったら、社会に出たら、やりたくない仕事だってやらなくちゃいけないんだよ」と大人は言うかもしれないが、やりたくない仕事なんかやらなければいいし、子どものうちからそんなことのために時間と労力を使わせる理由にはならない。大人になったらそうなるというなら、せめて子どものうちは遊ばせてくれたらいいじゃないか。


そんなわけで、私は、学校の宿題として出された「意見文・弁論文」なんてものは、インターネットからパクってきても、ぜんぜん問題ないと思っている。
このブログにたどり着いた人は、少なくとも、検索エンジンで「意見文 パクリ」のように検索することができたわけだし、そこにあった情報をうまく選んで加工して体裁を整えることができるわけだ。それだけの能力があるなら、意見文なんて自分の力で書けなくても、別にいいと思う。
もちろん、世の中には無断引用を嫌がる人もたくさんいる。しかし、このブログにおいては「パクりフリー宣言」まで載せているのだから、パクってはいけない理由はなにもない。


子どものときからズルをしていたら、ろくな大人にならない、と言う人もいるかもしれない。あるいは、そうかもしれない。
私は、別にそれでもいいと思う。
私は、不真面目なくせに真面目な子どもだった。もっと楽に生きてもよかったんじゃないかと思う。


なんでもいいんじゃないかな。
結局、それで誰が喜んで、誰が悲しんで、誰を傷つけるのか、ということだろう。
宿題を自分の力でやらないことは、自分の学力のためにはならないだろう。世渡りの能力は高くなるだろう。自尊心は傷つくかもしれないし、逆に、うまく立ち回ったことを喜ぶのかもしれない。学校の先生は、別にどうでもいいと思っているかもしれない。親は悲しむかもしれない。


すべての、夏休みの宿題が終わらない人たちへ。世界は広いし、いろんな価値観があるし、あなたの人生の残り時間は刻々と減っている。
健闘を祈る。