ツイッターに精神状態を投稿することによる3つの効用

もしあなたがメンタルヘルス弱者で、弱音をツイッターに書くことに自責を感じるなら、あなたの行為には3つのいいことがあると言おう。自己認知はメンタルを安定させる。余裕のある他者が、もしかしたらあなたを助けてくれる。余裕のない他者が、もしかしたらあなたに助けられてる。

http://twitter.com/#!/ffi/status/29673813431

もう少し長く書くなら、弱音をツイッターに書くことの3つのいいこととは、次のようなもの。ただし、私自身もメンタルヘルス弱者なのであって、医療専門家などではないのでご注意ください。

自己認知による安定

「いま自分は気分が良くない」ということを言語によって認識することは、メンタルヘルスにおいて大事なことです。
「なぜ自分はいま気分が良くないのか」ということをいきなり考えるのは、抑うつ状態のときには無理だと思います。メンタルが弱っているときにはこういった自分の状態を判断する力がかなり落ちているので、思考の段階を細かく区切ってやる必要があります。
「いま気分が良くない」→「薬飲んでないからか」→「薬飲もう」とか、「いま気分が良くない」→「外に出たくない」→「でも食べるものもない」→「うーん」→「吉野家なら行けるか…」とか、いろんなパタンがありますが、元気なときには一息で進められる思考でも、弱っているときには段階的にしかできません。段階的に進めるための手がかりとして、ツイッターの「140文字制限」は、けっこう有効だと思います。

誰かが助けてくれるかも

助けを期待しすぎるのは依存の危険があるのですが、助けてもらえる可能性はたしかにあります。
リプライなどによる直接的な「助け」や、あるいはもっと直接的に、近所に住んでる人が差し入れを持ってきてくれることもあるかもしれません。
もっと間接的な助けもあります。ツイッターで何十人かフォローしていれば、自分が沈んでいるときにも誰かが適当なことを喋っていたりします。「外の世界には別の日常がある」みたいな、ちょっと客観的になってみれば意外と救われるようなことってあると思うのです。

誰かを助けているかも

もしあなたがメンタルヘルス弱者で、あなたがフォローしているツイッターユーザにあなたと同じくらいメンタルヘルスが不安定な人がいたら、このことは理解しやすいのではないでしょうか。その人が弱音をツイッターに投稿し、そしてしばらくすると安定してきて、少し楽しそうに話をしだしたりするのを見て、自分も救われているように思ったことはないでしょうか。


「自分はひとりではない」ということの自覚は、抑うつ状態にあっては重要な「救い」だと、私は思っています。