『あまちゃん』震災編によせて
私が『あまちゃん』を観始めたのは早くなく、初視聴は7月中旬、録画するようになったのはもっと後だ。
このドラマのどこかで東日本大震災が描かれるであろう、ということが以前から話題になっていたし、実際そのようになった。
震災から2年半が経って、私の生活はほとんど以前と変わりない状況になった。住むところも働き方も変わったが、それは震災のせいではない。
あのとき、私は茨城県つくば市に住んでいた。自宅の食器が割れたりテレビが倒れたりしていたが、なんとかなった。余震は怖かった。テレビはあまり観ないようにした。私はつくば市に特化したツイッターアカウントを持っているのだけど、そちらで少しずつ喋っていた。
余震が続いてたり、寒くなってきたり、嫌になりますね。不安が募ると余計につらいです。ツイッターで地震と関係ない雑談とかしたって、別にいいんだと思いますよ。それで多少は気が楽になるかもしれないし、あなたの安否も伝わります。
https://twitter.com/tsukuba_tw/status/46163420885692416
(11日19時59分投稿)
つくば市は、中途半端な被災地だった。大きな被害ではないものの、それなりに深刻な被害があった。余震は相変わらず怖かったし、計画停電の対象地域になってたし、水道が止まったし、電車も止まった。でも、津波は関係なかったし、とにかく原発事故がどうなってるんだという感じで、中途半端な被災地にいる自分は何をどう感じたらいいんだろうかと困惑していた。
明るくなってきました。それだけでも何か落ち着きます。つくば市の被害は相対的にみればたいしたことないかもしれない。でも、十分、キツい状況だと思います。不安になっていいはずです。その上で、強くありたいですね。
https://twitter.com/tsukuba_tw/status/46312212209475584
(12日朝5時51分投稿)
そうこうしているうちに、電気も水道も安定供給されるようになり、ガソリンスタンドに並ぶ車の行列もなくなり、それでも相変わらず原発はひどいことになっていた。
私は自分のメンタルが強くないことをよく認識しているので、震災についての情報はなるべく取り入れなかった。津波の映像は、2年半が経った今も、一切観ていない。たぶん死ぬまで観ないと思う。原発事故については、とりあえずつくば市内の研究者の人たちが逃げない限りは無視することに決めた。高エネ研とか産総研とかの研究者が家族を連れて疎開しだしたらヤバイのだろう。信用しうると思える他人に、判断を委ねた。
そうして、私は震災を忘れていった。積極的に忘れようとしていった。いつまでも続く原発関連ニュースは、なるべく真剣には見ないようにした。その習慣は今も続いている。私はメンタルが強くないのだ。私は震災を忘れようとしているし、実際に忘れつつあった。忘れることを恐れてもいるし、忘れることを申し訳ないとも思っている。そういう人はたぶん少なくないだろう。
そんななかで、『あまちゃん』を観た。
よく考慮された演出だと思う。よくそんなセリフを書いてくれた、よく演じてくれたと、メタ的に感動した場面も多くあった。
「風化させてはいけない」というのは、こういうことだったのか、と思った。私たちは忘れる。忘れるべきじゃないことはあるし、でもそれも忘れていく。だからといって、私がひとりでそれらを覚えていようと意気込んだり、忘れつつあることをためらったりする必要はないのだと思う。いろいろな人たちが、それぞれに、そのときの記憶を繋げていけるのだと、『あまちゃん』の視聴体験は教えてくれた。
『あまちゃん』は喜劇だ。喜劇だから、単純に面白い。視聴率もいいらしいし、毎話を複数回観ている人も多くいるらしい。人気作品だ。加えて、NHKの「朝ドラ」と呼ばれる枠で放送されている。BSとか深夜放送とかではない、エリートというか、由緒正しいというか、なんかそんな番組と言っていいと思う。
面白くて、人気のある、NHKで、朝ドラで、あの震災が描かれたことには、大きな価値があると私は思う。
これからも私は、積極的には震災の記憶を反芻したりしないだろうし、私と同じように記憶を調整する人も少なくないだろうと思う。一方で、風化し、すっかり忘れられてしまうことを不安にも思う。けれど、これからも、良質な創作が震災を描くだろう。たとえ私が忘れても、私たちは忘れないだろう。楽観的で人任せかもしれないけれど、それでいいと思う。私が覚えていてあげなくてはいけないことは、たぶん、他にもいくつもある。