一発芸の料理ができても、家事ができるとは言えない
「男の料理」という表現は、普段は料理など作らない男性がとつぜん思い立って派手な献立を作る(もちろんあまった食材のことや、食器を洗うことなどは考えていない)、その家庭の家事を担っている「女」にとってみればイイ迷惑というような揶揄を含んだものとして感じられる。
今後は、家族のあり方など変化していって、「男の料理」という言葉からそのようなニュアンスを感じ取ることは難しくなっていくのかもしれない。そのような性別による家事分担は減っていくだろう(家族という経済主体における労働力分配の考え方は変化していくだろう)。
さておき、いわゆる「男の料理」という言葉が持つ「後片付けのこと考えてない、牛肉の固まりとか普通買わない、バルサミコ酢とか買ってくるのはいいけどどう消費すりゃいいんだ何考えてんだよ」感を解決していくことは大切なことだと思う。
いわゆる「男の料理」は、一発芸だと思う。ドカーンと打上げて、その場は大いに盛り上がる。そういう瞬間も、私たちの人生には必要なスパイスだ。とはいえ、一発芸だけで生き延びている芸人さんをテレビで見掛けないのは、そういうことなのだろう(テレビ司会者の振る舞いについて「出演者をうまく料理する」などの表現があるのは面白い)。
料理に限らず、家事はどれも、一発芸で終わらせるわけにはいかないことだ。年末には「大掃除」をするものだけど、日々のこまめな掃除こそが大切だ。風呂の掃除は、誰にでもできることだけれど、いつも適切に風呂を清潔にしておくことは、誰にでもできることではないだろう。大晦日だけカビ取りハイターを使っても、あまり意味はないのではないか。
家事能力というのは、個別の「一発芸」の良し悪しではなく、運用能力だったり、状況判断能力だったりするのだと思う。
いま、一発芸の習得に困ることはない。料理であれば、レシピ本は大量に出版されているし、クックパッドを検索するのもいい。ホームセンタの洗剤売り場にでも行けば、便利な掃除グッズがたくさんあるだろう。
必要なのは、どうすれば運用し続けることができるのかについての知見だ。家事について、一定の水準を保ち続けるためにはどうすればいいのか。家事以外に本業を持つ多くの人たちが、家事と適切に向き合える運用のあり方とはどんなものなのか。このところ、そんなことを考えている。オチはつかない。