ももクロ夏のバカ騒ぎ2014での『キミノアト』について思ったこと

私の2014年はももいろクローバーZとともにあると7月末の時点で言い切って差し支えない。
2013年12月から真面目に視聴するようになり、1ヶ月後にはすっかりハマっている。それから何度かライブにも足を運び、今回の「夏のバカ騒ぎ2014」は当然のように2日公演に両日参戦した。1日目は現地の日産スタジアム、2日目は映画館でのライブビューイングで参加した。


今回の公演は「夏のバカ騒ぎ」であり、副題が「桃神祭」ということで、お祭り騒ぎという趣意を強く出したものだった。和楽器バンドや神楽、阿波踊り集団やお神輿集団なども出てきていて、こういう他界隈のエンターテイメントとの接合を提示してくれるのは面白い。


セットリストは、両日とも大枠では共通していて、お祭り騒ぎ的な派手な曲が多いなか、魅せる・聴かせる曲を各所に配置していた。こういう曲組みができるということ自体が、ももクロの成長を感じさせて泣けてくる。
ライブアーティストについて「成長を感じて泣ける」という評価は、本来はふさわしくないだろう。素晴らしいものを、ただ見せてくれればいい。成長過程というコンテクストを含めて感動するのは、高校生の部活動の発表会などで十分だとは思う。
もはや、ももクロのパフォーマンスは「一生懸命さ」が良さではない。無理なく堂々と歌い踊るようになっている。バカ騒ぎな曲はあくまでバカ騒ぎをしながら、落ち着いたバラードや難曲も危なげなく歌う。


『キミノアト』は、シンプルなラブソング。発表当時は、脱退したメンバーへのメッセージを連想させる歌詞だということで話題だったらしい。素直に聞けば、ごく普通の、なんてことはないバラード曲だ。
この曲が、2日公演ともに、プログラムの最終盤に配置されていた。1日目はアンコール3曲目(大トリの1つ前)、2日目は本プログラムの最終曲(アンコール前の最後)だった。


映画館で2日目の『キミノアト』のイントロを聞きながら、不思議に思った。たしかに、この2日公演の曲目はあまり変更がなかった(悪天候による短縮化の影響もあったのかもしれない)。まったく違うセットリストを見せるより、曲数を絞って全体の質を高める方向にしているのだろう。それは望ましい。それにしても、『キミノアト』ってそんなにいい曲だったっけ? そんなに人気の高い曲だったっけ? 『走れ!』が両日とも終盤に配置されていたのは理解できる。むしろ、セットの途中に出てくることを驚くような扱いの曲だ。でも『キミノアト』ってそういう扱いだったっけ? 今回まだ使ってないバラードは他にもあるけど……。
歌い出して、ハッとする。今日は夏祭りだったんだ。夏祭りは楽しいけれど、お祭りが終わるのは少し切ない。ジッタリン・ジンの(Whiteberryの)『夏祭り』が提示したような、完全には成就しない恋の舞台としてのお祭りを、ももクロは2日間のライブを掛けて提示しようとしている。その終幕としての『キミノアト』なんじゃないか。


さて、そんな効果を狙ったセットリスト自体は、難しいことではない。使える楽曲はずいぶんたくさんあり、それらを配置することで、プログラムとしてはバカ騒ぎとお祭りの幕引きを演出することはできる。
セットリストとしては演出可能だとしても、それに応えられるかどうかは、彼女たち5人のパフォーマンス次第となる。そして彼女たちは、しっかりと役目を果たす。『キミノアト』を歌う彼女たちは、少しも無理をしている様子なく、ごく自然な姿で、2日間のお祭りを閉じていく。
ああ、こんな表現ができるんだ。こんな大きな舞台で、こんな風に歌うことができるんだ。
コンテクストに依存したエンターテイメントを高くは評価しないという品質至上主義も、正しいことだと思う。アイドルが輝いているのは、完璧ではない少女たちが懸命に輝こうとする行為こそがきらめきを反射して見せているからではある。そういう批判的視点を踏まえつつも、彼女たちの確かな成長を目の当たりにして、私は立ち尽くすしかなかった。


一夜明けて、あらためて『キミノアト』を聴く。やっぱり、曲自体はシンプルなラブソングだ。ももクロのレパートリーの中では、ずいぶんあっさりした曲といえる。
彼女たちは、そんな曲を自然に歌うことで、画面のこちら側にまで圧倒的な感動を届けた。あらためて、称賛したい。