海老名市立中央図書館に行ってきた話

2015年10月9日、「ツタヤ図書館」として話題になっている海老名市立中央図書館に行ってきました。

入り口をはいるとすぐに、蔦屋書店とスターバックスコーヒーがあります。そしてその先には吹き抜けの階段と、コンクリートの梁がむき出しになった、いい感じの空間があります。
「図書館」のつもりで入った先が「本屋」なので、初めて訪れるとかなり戸惑うと思います。蔦屋書店は1階フロアのかなりの面積を占めているのですが、途中からまるで継ぎ目なしに図書館になっているので、これも戸惑いました。とはいえ、慣れてしまえば問題ないのでしょう。
とにかく、ここはオシャレ空間です。スターバックスコーヒーはその培ってきたオシャレなイメージを存分に見せていますし、蔦屋書店も代官山や有楽町マルイにあるようなスタイリッシュなイメージで展開しています。図書館の建物自体も(今回のリニューアルオープンのために改装したのかどうかは知りませんが)、カッコいいです。


図書館には、明るい場所というイメージはあまりありません。楽しい場所というイメージもあまりありません。なんだか薄暗いし、静かにしていなくてはならないし、建物は古いし、というのが図書館の共通イメージかと思います。
もちろん、近年の公立図書館はもっと明るい場所になっているようです。わたしが行ったことのある場所では、徳島市徳島駅、千葉県市川市市川駅、神奈川県川崎市武蔵小杉駅にそれぞれ隣接した公立図書館は、建物もあたらしく、明るく楽しいイメージのある素敵な空間でした。海老名市の中央図書館は、さらに積極的に館内を楽しい場所にしようとしているのだと感じました。


さて、図書館に入る前に蔦屋書店を眺めていきます。雑誌があり、小説があり、新書があります。旅行ガイドがあり、ビジネス書があり、自己啓発本があります。レシピ本があり、思想書があり、資格取得本があります。ひと通りありますが、「嫌韓・嫌中本」は置いてないようです。大衆週刊誌もないようです。入り口のいちばんいい場所にあるのは、『火花』ではありません。2015年10月のいま、店先に『火花』のない書店がどれだけあるでしょうか。


地下階に降りていくと、おそらく以前は閉架書庫として使われていたであろう広いスペースに、小説がずらりと並んでいます。高い天井のいちばん上まで本棚になっていて、階段の途中から見下ろすと、なんともワクワクしてきます。もっとも、高い棚に置いてある本は、ボール紙でつくったようなフェイクでしたが。意外なことに、古典文学の原典本や解説本などもそれなりに充実していました。「書庫」シールが貼られたままの本も並んでいます。どうやら閉架書庫を廃止したことで、久しぶりに日の目を見ている本がたくさんあるようです。『機龍警察』シリーズの順番が狂っていたのを並べ直しつつ、地下をあとにしました。


この建物は、地下階から地上4階まであるのですが、階段がどこにあるのかわかりにくいのが難点です。空間がカーブさせてあったり、袋小路めいた書棚の並びだったりもします。建物の概略図がわかりにくいだけでなく、じっさいに歩いても場所がよくわからなくなります。館内マップも、来館者に配布するためのものは用意がないようでした。建物の構造はもう動かせないにしても、誘導表示などは改善されていくことでしょう。

4階は児童書コーナになっています。エレベータが2基あるのですが、このアクセスも改善の必要を感じました。
わざわざ4階にしなくてもとも思うのですが、4階の中央には高い半球の天井があり(建物の外からも見える構造部分)、とても気持ちのいい空間になっていました。この半球の下で絵本の読み聞かせがされたら、とても素敵だろうなと思います。屋上テラスにもつながっているので、子供の気分転換にもいいだろうと思います。


この図書館がとくに話題になったのは、書籍の分類の独自性からでした。
たしかに、棚をめぐっていると、妙なところに並んでいた本はいくつかありました。でも、全体として見れば、それらのエラーはわずかなものです。どんな図書館にも、間違った分類の本はあるはずです(間違いなどあるはずがないと言う人は、図書館のなかを歩いたことがないのでしょう)。数万冊のなかから面白い1冊をピックアップして笑うのは、木を見て森を見ない行為だとわたしは思います。
本の分類は、図書館学の長年の知の蓄積です。それを否定することは、わたしにはできません。図書の分類はこのようにあるものだという知見は、まったく正しいと思います。でも、それだけが正解なのか。正解はそれしかないのか。違う分類があってもよいと思うのです。
いま、特定の本にアクセスしたいのであれば、Amazonで買うのがいちばん速いわけです。Amazonで検索して「この本を買った人はこんな本も買ってるよ」と言われたらそれも読んでみることで、さらに本の世界が拡がっていく。そういう世界にわたしたちはいます。そしてそんなネット書店に対抗するための言葉として、「リアルの書店には思いがけない出会いがある」なんて言うわけです。けれど、リアル書店に行ったところで、並んでいるのはベストセラーばかり。小説はなぜか出版社別に並んでいるから、『屍者の帝国』がハヤカワ文庫から出てると思い込んで探しても、ぜんぜん見つけられないのです。
海老名市立図書館の分類こそが新しい基準になるべきである、とは思いません。もっと洗練されるべきだし、修正が必要な部分もあるでしょう。ただ、わたしが確実に言えるのは、海老名市立中央図書館には新しい平等があるということです。
タイトルでグルーピングし著者名でソートするだけの分類と、閉架書庫の廃止という2要素によって、ほんらい誰の目にも留まらなかったはずの本が妙なところに置かれる。その本を、べつのことに興味があったはずの誰かがたまたま手に取る。「思いがけない出会い」が、普通の図書館よりも起こりやすくなっていると、わたしは考えます。勘違いかもしれませんが。
たしかに、もう舞台に上がるべきではない本まで配架されています。 WindowsXP や Excel2003 の参考書と出会うことに意味はないとわたしも思います。でも、そういう無駄な平等があるからこそ生まれる「出会い」を楽しみにしてもいいんじゃないでしょうか。


公立図書館は、誰のためにあるのでしょうか。なぜ行政が無償で提供することになっているのでしょうか。おそらく正解はあるのだと思います。わたしはこれまでもこれからも一貫して図書館のユーザなので、ただただ享受するばかりです。
公立図書館には、村上春樹が何冊も何冊も所蔵されているべきでしょうか。『火花』が何冊も何冊も所蔵されているべきでしょうか。スベトラーナ・アレクシエーヴィッチは何冊かあるべきだと思いますが、正解はわかりません。
図書館学的な正解をわたしは知りませんし、誰もが納得する正解はおそらく存在しませんが、運営するのであれば指針はあるべきでしょう。慣習として行政が無償で提供するサービスなのではなく、理念とか、理想とか、KPIとかがあるべきでしょう。
海老名市立図書館は、「図書館に遊びに行こう」と住民に思ってもらえる図書館を目指しているのだと思います。それはとても価値のあることだと思うのです。

課題はたくさんあると思います。検索システムはまだ弱いし、スタッフもまだまだ不慣れな様子でした。「出会い」優先の配架にするなら、検索精度はじゅうぶんに高くあるべきです。手の届かない棚に並んだ、実質的には閉架の書籍については、再検討が必要でしょう。
課題はありますが、これはけっして全面的に否定されるようなプロジェクトではないのです。


海老名駅前には、まもなく大型ショッピングモールがオープンします。新宿まで1時間、横浜まで40分。これから人口が増える都市なのかもしれません。
本を、知を、無理のないスタンスで好ましく思うような住民が増えていくことを、わたしは心から願っています。