繰り返される生活を見つめること

この記事は、家庭を支える技術 Advent Calendar 2015 の5日目の記事として書かれています。
ここでの「技術」ということばは、ゴリゴリと音を立てながらコードを書くプログラマであったり、ネガティブな意味の乗らない「ハッカー」のような人たちを連想させるものですが、わたしはそういった技術はもちあわせていません。しかしそのような人の家庭ももちろん、「技術」によって支えられているのです。



同じような日々を繰り返すことでわたしたちの生活は進んでいきます。同じようなことばかりですから、どんどん忘れていってしまいます。昨日の夕飯はなんだったのか、布団を干したのはいつ以来なのか、髪を切ったのはいつだったか。反復周期は単一ではなく、だからなおさら忘れてしまう。忘れたくないことも忘れてしまうし、忘れてもそんなに困らないけれど思い出せれば便利かもしれないという程度のことももちろん忘れてしまう。


どうせわたしたちはなんでもネットに書いてしまうのだから、書けることはなんでもネットに書いてしまえばいいのだと思います。それらは勝手に蓄積されていき、適宜参照できるとよい。蓄積ストレスの低さ、手軽さ、検索性にすぐれたウェブサービスが、Twilogです。
Twilog - Twitterのつぶやきをブログ形式で保存
なにをいまさら。Twilogが便利なのは自明であり、議論の余地はありません。



先日、久しぶりにチャーハンをつくりました。かつてチャーハンのつくりかたを調べてツイートしたことがあったのではないかと思いTwilogを検索すると、自分好みにアレンジの入ったレシピを書いていたことがわかりました。そんなことはすっかり忘れていたのです。
あるいは、夕食にホワイトシチューをつくったとき、その副菜や主食をどうするのかは悩ましい問題です。広大なインターネットにはさまざまな知見がありますが、知らない誰かの意見よりも自分の過去ログのほうが助けになります。知らない誰かは知らない誰かのために夕食をつくっているのであり、わたしはわたしのために夕食をつくっているのですから。



かつてのわたしがこんなことを書いています。

Twilogを確認したところ、自分がかなりの頻度で喉を痛めていることに気付く。定常的な対策をするべき頻度だと思われるが、その自覚はなかった。

https://twitter.com/ffi/status/524147051655725057

記録には認識を変化させる可能性がありますが、この記述が活かされるためには、Twilogを「喉」とか「風邪」といったワードで検索しなければなりません。それは現実的な行動ではないでしょう。ライフログがいまよりも能動的にわたしに働きかけてくる仕組みができないものかと思っています。
とはいえ、そのためにはログ投稿ツールはTwitterでは難しいでしょう。わたしの家庭の健康にまで口を出せるライフログは、無造作に公開するようなものではないはずです。専用の投稿先(紙の日記帳や、限定公開SNSなど)をつくることはいままでに何度も失敗してきました。『ハーモニー』のWatchMeのようなシステムをすこしだけ夢想しますが、それはもっと大きな世界の話。「家庭」を支えるのは、もっと手の届くところにある技術であってほしいなどとも思います。



以前にはこんな記事も書いています。
まず、ご飯より始めよ(生き延びるための自炊入門) - うしとみ
自炊スターターキット、あるいは一人暮らしで買わなくてもいいものリスト - うしとみ

明日は主幹のkei_sさん。