第24回つくば国際音楽祭 レニングラード国立歌劇場管弦楽団

縁あってチケットが手に入ったので、聴きにいった。
曲目は、「ルスランとリュドミラ」序曲、ラフマニノフピアノ協奏曲第2番チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」。オーケストラのコンサートに足を運ぶのは、筑波大の管弦楽団や、地元のアマチュア団体の定期演奏会くらいだが、たぶんこのプログラムは、『すごく普通』だと思う。ロシアの楽団だけあって、序曲、協奏曲、交響曲ともにロシアの作曲家の作品*1。3曲とも、アマチュアの演奏は聴いたことがあった。


ぼくは指揮者による音楽の違いが分かるほどにはクラシック音楽を聴きこんでいないので、指揮者のことは語らない。
ルスランとリュドミラ」は、「速いなあ!」と思ったが、その軽やかなテンポを苦ともせず颯爽と弾き鳴らすヴァイオリン奏者たちはすごいなと思ってしまった。プロがうまいのは当然のことなのだけど、やはり余裕を持って演奏しているというのは強さだと思う。
ラフマニノフのピアコンの2番は、なんというか、日本人が大好きな曲だろうよなあと思う。すごくよかった。ピアニストはおそらく有名な人なのだろうけれど、やはりぼくは違いを語れるような耳はない。ずいぶんとタメて弾くんだなあという感じ。1楽章冒頭の、低いFの音が、次第に、着実に、こちらに近づいてきたのが非常に印象的で、それは言ってしまえばタイミングと音量の問題でしかないのかもしれないけれど、とてもドラマティックで美しくて引き付けられた。3楽章の最後のカデンツァのあとのホール全体が息をのむ緊張と、その直後のティンパニの強打音も非常に力強かった。


序曲は、オーケストラを聴いていた。協奏曲は、ソリストを聴いていた。交響曲チャイコフスキーの時間だった。
「悲愴」は、高校生のときに初めて聴いたのだと思う。アマチュアのジュニアオーケストラの演奏で、演奏前のアナウンスで「3楽章が派手に終わるけど、まだ続くから拍手しないでね」というようなことを言っていた。この曲は少し変わった構成をしていて、第3楽章のフィナーレが、まるで終楽章のようなのだ。しかしまだ4楽章へと続き、最後は消え入るように終わる。
ぼくは、あるいはこの曲の構成をちゃんとわかった上で聴くのが初めてだったからかもしれないけれど、3楽章が終わり、ほぼアタッカで4楽章のヴァイオリンが鳴りはじめたときに、泣いてしまいそうだった。この交響曲を力強くわかりやすく展開することを選ばなかったチャイコフスキーの想いみたいなものが、なにか感じられたような気がして、なにかものすごいものに触れたような気がして、泣いてしまいそうだった。
この曲は、消え入るように終わる。コンサートに来ていた聴衆は、もちろんほとんどの人がこの終わり方を知っていたはずだったのだけど、コントラバスのピチカートが止み、チェロの弾き延ばしの残滓が消えても、拍手が起こらなかった。他のお客たちは、指揮者が腕を下げるのを待っていたのかもしれないけれど、ぼくは、手を叩くことができなかった。指揮者が奏者たちを立たせ始め、コンサートマスタが弓で楽器を軽く叩いて拍手を誘い、ホールが大きな拍手に包まれても、まだぼくは手を動かせなかった。
コントラバスが最後のピチカートを始めたときに、ぼくはチャイコフスキーの音楽が終わるのがわかった。まだ終わらないでほしい、もう終わってしまうのか、もう消えてしまうのか、そう思いながら、そして音楽は終わったのだけど、ぼくはまだチャイコフスキーの世界のなかにいたのだった。
どういう言葉で表現すればいいのか、わからなかった。感動という言葉では軽すぎると思った。素晴らしい時間だった。

*1:こういう国別のカラーを出せる国は強いよなと思う。日本やアメリカだったら無理だろう。