フィギュアスケートの音楽が好きじゃない

フィギュアスケートをどうしてももう一歩楽しめないのは、音楽の使い方が好ましくないからだ。
昨日の全日本選手権のテレビ放送を、少しだけ観た。浅田真央さんが、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の第1楽章をつかって滑っていた。この曲の1楽章は普通に演奏すれば10分以上かかる。フリープログラムはそんなに長い時間を使えないので、楽曲はところどころ削られていた。曲をよく知っている人が聴くと、なかなかびっくりしてしまう編曲だなと思う。ラフマニノフがあの編曲を聴いたら、眉をひそめるかもしれない。たぶん「ちょww」くらいは言うだろう。


競技の採点規準としておそらく「規程のジャンプがちゃんと跳べたか」を重視しているのだろうから、いくら「芸術点」という規準があるとしても、音楽より身体性が重視されて当然だろうと思う。規程されている技をうまく盛り込んで時間制限にあわせたプログラムにするのは、相当難しいことだろう。自分の得意技がうまく映えるようにしたいし、音楽の盛り上がりによる感動増長もうまく使いたい。そういう事情はじゅうぶんに理解できる。
事情は理解できるものの、やっぱり楽曲はたいせつにしてほしいなと思う。


優勝した鈴木明子さんの曲は『オペラ座の怪人』だった。これも当然編曲してあるのだけど、こちらはあまり問題ない。もともと劇伴音楽なので、いろいろな種類の編曲がすでにある。聞きなれないメロディの飛び方をしたとしても、「そういうアレンジもおもしろいな」という好評価になりがちだ。
オリジナル曲を委嘱する選手もいる。それなら何もトラブルがない。作曲と録音にお金はかかるだろうけれど。


今回の浅田真央さんのことを特に非難しているというわけではない。ただ、浅田さんは現在のフィギュアスケート界の世界トップクラスの選手だ。世界トップクラスの選手がオリンピックに挑むための演目においてさえ、あのような音楽が使われてしまう、フィギュアスケートという競技ぜんたいに対して残念だなあと思っている。


音楽と合っていない振り付けのことも触れておく。規程の技を跳ぶことを重視するあまり、音楽に乗せて演舞しているという意味がなくなっているのを観ることがある。「この演技ってなんなら無音でもよかったのでは? この音楽を流す必然性はあったの?」と思ってしまう。
とはいえ、少なくともトップクラスの選手については、音楽と動きがちゃんと合っていると感じるので、あまり不愉快ではない(たとえば浅田のラフマニノフ・ピアノ協奏曲でも、冒頭のジャンプのタイミングやそれまでの滑走は、音楽の流れと技の見せ方の流れがうまく合っていて、いいものだと感じる)。きっと、技量があれば、音楽と合わせて踊るのはラクになっていくのだろう。


フィギュアスケートの主役は音楽ではない。クラシック系の楽曲がつまらないアレンジをされてしまう場面は、吹奏楽コンクールなどでもよく見られる。
だから、「フィギュアスケートの音楽はクソだ!」と言ってもしかたないかなとは思う。ただ、私の志向としては、もとの楽曲を真摯に捉えていないように感じる音楽の使い方は、どんな場面であっても、不愉快だなと思う。