私のフルートの演奏がどんどん下手になっていっている件について、あるいは自分を前に出さないということ

高校1年生のときにフルートを始めて、今年で25歳になるわけですから、もう10年近くフルートを吹いていることになります。
楽器の演奏というのはスポーツとおそらく同じで、練習しなければ上手くなりませんし、上手くなったあとも練習を続けなければ今度は下手になっていきます。いちにち10分でもいいから楽器に触りなさい、なんてことがよく言われるのですが、音楽におけるセンスのようなものはともかくとして、身体能力的な部分については毎日楽器を練習しているほうが有利なのは間違いありません。


私がいちばん上手にフルートを吹いていたのはいつのことでしょう。いちにちのうちに楽器を演奏する時間がもっとも多かった時期はといえば高校3年生の夏だったでしょうし、音楽的なセンスや高度な技術を身に付けてきた時期はといえば大学3年目の秋くらいだったのでしょう。高校のころは一週間に6日以上、夏休みは毎日8時間くらいは練習していたはずです(あのときピッコロばかり吹いていたのは、もったいなかったのかもなあ)。大学に入ってからは、周囲にさまざまなタイプの演奏者が増えたことと、自分でいろいろと考えながら演奏できるようになったことで、音楽的なセンスは磨かれたことと思います。
フルートを吹く機会がなくなって、3年ほどたちました。ときどき路上ライブなんかに参加したり、ちょっとしたコンサートに参加したり、まったく吹かなくなったわけではないのですが、かつてに比べたら、もう。管楽器の演奏は、唇の筋肉、呼吸のための身体の使い方、指をスムーズに動かすことなど、身体的な問題が多いのです。鍛えておかなければ衰えます。もうすっかりダメです。むかしはもっと上手に吹けたのに、と思ってしまいます。
絶望的な気分になったのは、カンニングブレスができなくなったことに気付いたときです。私は吹奏楽をずっとやってきました。吹奏楽では同じ楽譜をいっしょに吹く人が複数いることが多いのですが、息の長いフレーズなどでは、みんな同じ場所で息をする(ブレスを取る)と音楽が不自然に停滞してしまうため、フレーズの中間あたりでコッソリ息をする「カンニングブレス」という技があるのです。これができなくなるということは、音楽の流れが見えなくなっているということであり、体力などが衰えているということでもあります。
もっとひどいのは、クレッシェンドしていった頂点でブレスをしてしまったことです。「ここで吸っちゃダメだよ」というのは中学生でも分かるような楽譜なのに、そんなお約束を守ることさえできなくなっていました。


自分の理想どおりに演奏できないのなら、いっそ楽器を置いてしまおうかとも考えてしまいます。このままどんどん下手になっていく自分を見たくない。でも、むかしのように練習する時間も取れない。というか、時間をかけて上手くなろうというモチベーションもあまりない。もうダメです。


プロスポーツ選手は、現役を引退するとどうしているのでしょう。コーチになったり監督になったり解説者になったりするようです。サッカーの中田選手は、なにか財団を作るらしいですね。
自分が動かなくなったら、ほかの人が動けばいいじゃないか。引退したスポーツ選手がそう思っているかどうかは分かりませんが、私はそんなことを考えます。もう自分の全盛期はとっくに過ぎているのだけれども、少し下がって、見方を変えてみれば、ほかの人たちを輝かせることができるのかもしれないな、なんてことを思います。


生涯現役なんて言葉がありますが、それは元気な人たちか、あるいは理想を追い求め続けることのできる強い人たちにまかせて、私はほかのことを考えながら、しかしそれでも音楽が好きだしフルートが好きだということを忘れないようにしながら、音楽に関わっていければいいのかなあと思います。