私たちには身体がある――細馬宏通『介護するからだ』

『介護するからだ』は、とてもおもしろい本だ。介護や医療に関わる人だけでなく、多くの人に読まれてほしいと思う。
この文章で言いたいことは、これだけだ。この先の文章は、長い蛇足ということになる。


ブログを書くことから、ずいぶん離れてしまった。ツイッターには常駐していて、ときどきいろいろと書いているが、長い話はほとんどしない。時事ネタへのツッコミもあまりやらなくなった。
これには理由がある。「それをわたしが言う必要はあるか?」と考えてしまうこと。いまや誰もが(本当に誰もが)ネット上で発言をしている。わたしが考えるようなことは、わたし以外の何万という人も考える。そして何十人かがそれを言語化してネットに投稿する。わたしが登場する必要は、あるだろうか?
10年前はそうではなかったと思う。ネット上でまとまった発言をしている人の数はもっと少なかった。この10年で日本人の数がきゅうに増えたわけではない。ネットで書く人が増えたのだ。かつて、わたしが「わたしに似た人たちの代弁者」になりえた(そういう幻想を抱けた)時期があった。いまはそうではない。


『介護するからだ』の著者である細馬宏通さんのことを、わたしは『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』の著者であり、『今日の「あまちゃん」から』の著者であり、映画『マッドマックス』の音韻に注目した人だと認識していた。「映像作品の分析をする人」だと思っていた。

今日の「あまちゃん」から

今日の「あまちゃん」から

だから、医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から本が出ると知ったときには驚いた。介護と映画はぜんぜん関係ないだろう、と。
本書を読むと、実はちゃんと関係があるのだとすぐにわかる。細馬さんは認知症高齢者グループホームにビデオカメラを携えて訪れ、介護する人や介護される人のようすを撮影する。そのビデオを「一コマ一コマ」見返すことで、なにげなく行われている行為を分析し、そこに繊細な機微があることに気付いたりしている。本の帯には「目利きの人間行動学者」と紹介されているが、細馬さんが人間の行動をよーく見てきたからこそ、この本ができたのであり、また以前の本もできたのだなあと思う。


私たちのほとんどは、おそらく、介護したり介護されたりすることになる。介護はまったく他人事ではない。
しかしながら、いまのわたしは、「介護について考えることは重要なことだ」とは思っていない。わたしにとっては、それはまだ現実になっていないことだから。顕在化していない問題を熟考できる器用さを、わたしは持っていない。
けれど、わたしにとってすでに現実になっていることがある。
身体がある、ということだ。身体を動かしながら生きている、ということだ。これは現実である。
たとえば、狭い道を向こうからも人が歩いてくる。すれ違おうとして、なぜか同じ方向に避けてしまう。健康であっても、身体コミュニケーションは決して簡単なことではない。
それなら、介護の現場を観察することから得られる知見はあるに違いない。健康であるよりも制限されたモデルになっているわけだから。細馬さんがそう考えているかどうかはわからないが、わたしはそう思う。
私たちには身体がある。私たちは身体を通して生きている。当たり前すぎて忘れていたことを、本書によって思い出す。

人生で起こることは統計的に予測できるのに、「わたしの人生に起こること」を正確に予期することはできない。わたしは介護することもされることもなく死ぬかもしれない。
そんなことを考えている人は、たぶん何万人もいるだろう。でもその人たちのなかに、本書を読んだ人は何人いただろうか。おもしろく読んだ人は何人いるだろうか。介護にも医療にも書評にも縁のない誰かは、わたしのほかに本当にいるんだろうか。ふと、そんなことを思って、こんな文章をブログに書く。

「洋ニンジン」を知っていますか(食品スーパー旅行記)

正月休みを利用して、関西方面へ行ってきました。
旅行に行ったときは、できるだけ食品スーパーへ立ち寄るようにしています。そこに生活する人がいるかぎり、その土地には食品スーパーがあります。日本中のどこでもスーパーなんて同じだろうと思われるかもしれませんが、いろいろな場所を訪ねていると、意外な地方性がみえてきてとても面白いのです。

まずは、私が食品スーパー巡りをするきっかけになった場所から紹介しましょう。

この写真は、長野県松本市の中心部にある、ごく普通の食品スーパーの、キノコ売り場の様子です。
あきらかに多いのです。もしあなたが長野県民でなければ、近所のスーパーに行ってキノコ売り場を見てみてください。品種も、物量も、こんなに並んでいないはずです。

この写真のスーパー以外にも何軒か行きましたが、やはりキノコ売り場は充実していました。これは、ホクトという企業が長野県内にあることの影響かもしれません。そのへんの山にちょっと入れば採れるという事情もあるかもしれません。*1


次の写真は、今回の旅行で訪れた、岡山県津山市東津山駅近くにある食品スーパーの様子です。

津山ではB級グルメとして「ホルモンうどん」が有名です。おそらく、もともと畜産が盛んな土地であり、そのためホルモンの消費が多かったのではないでしょうか。そこから焼きうどんの具材にホルモンを使うようになり名物になったという経緯がありそうです。それはともかく、普通の食品スーパーでは、こんなにホルモンは売られていません。しかし津山に住む人たちにとっては、これが普通なのかもしれません。
テレビ番組「ブラタモリ」では、ちょっとした地形からその土地の物語を読み解く展開が面白いものですが、B級グルメにもその土地の歴史を想像する可能性があるのかもしれません。*2


ところで、津山ではもうひとつ気になることがありました。「にんじん」が「洋にんじん」という札で売られているのです。

「洋にんじん」という表記をはじめに見たときは、正月の時期だから、金時人参と区別するためなのだろうと思いました。しかし2店舗、3店舗と「洋にんじん」が続くのが気になり、思い切って店員さんに尋ねてみました。
「あの、ヘンなこと聞くんですけど、ニンジンって前から洋ニンジンって書いてありましたっけ?」。店員さんは怪訝な顔で「うちは前から洋ニンジンですね」と答えてくれました。
これまで私は、静岡と茨城に長く住み、その後は東京周辺のベッドタウンなどを転々としています。炊事はいつもしていてスーパーには通っていますが、「洋にんじん」という表記を見た覚えはありません。ニンジンはニンジンであり、京人参や金時人参が特別なはずです。ニンジンはニンジンです。


今回の旅行では、姫路へも立ち寄っていました。姫路駅から姫路城へと続く道のわきには、地元向けの商店街があります。ここの食品スーパーでも、「洋にんじん」と書かれていました。もしかすると関西では「にんじん」ではなく「洋にんじん」が主流なのか……?
ところが、岡山駅ちかくのイオンモールイトーヨーカドーでは、「にんじん」と書かれているのです。どういうことなのか。津山と姫路にのみあらわれた偶然だったのでしょうか。


東京へ戻る途中で、京都の宇治にも寄ってきました。主目的はアニメの舞台探訪でしたが、もちろんスーパーは確認します。*3
JR宇治駅近くのスーパーでも、やはり「洋にんじん」でした。そうだろうそうだろう、満足して京都へ向かいます。

京都駅の近くには(あまり京都という街のイメージとは合いませんが)、大きなショッピングモールがあります。ここにも行きたい。歩き通しの旅程で、脚が悲鳴をあげていましたが、どうしてもイオンモールKYOTOの野菜売り場でニンジンを見たい。
はたしてそこには、ひとつの答えがありました。


スーパーが付けた値札には、「にんじん」とあります。一方で、ニンジンの包装紙には「西洋にんじん」と書いてあり、横にはJA京都の文字も見えます。つまり、京都の生産者にとっては「ニンジン」といえば西洋ニンジンのことではなく、京人参ではないものについてわざわざ「西洋ニンジン」と表記するということなのでしょう。しかしイオンモールイトーヨーカドーのような全国展開するチェーン店では、商品名称はすべて統一されていて、だから関西でも「にんじん」表記になっているということなのでしょう。


いかがでしょうか。この面白さがうまく伝わるものかどうかわかりませんが、私はとても面白いと思っているのです。
私たちが当たり前のことだと思っていた「にんじん」や「キノコ」の売られ方が、同じ国の中でこんなにも違っている*4。それは、長野のスーパーではイナゴの佃煮が売っているとか、津山のスーパーでホルモンが売っているといったこと以上に興味深いことのように思うのです。
みなさんも、遠くの街へ行く機会があれば、食品スーパーを覗いてみてください。その街に住む人々がどのような当たり前を生きているのか、そして自分がいつもどのような当たり前を生きているのかを、見つけることになるかもしれませんよ。

*1:総務省統計局の家計調査ランキングが面白い。( http://www.stat.go.jp/data/kakei/5.htm )「生鮮食品」のファイルから、「生しいたけ」と「他のきのこ」の欄を見てみよう。「他のきのこ」ランキングに注目すると、長野市は消費量1位となっている。次に「生しいたけ」を見ると、長野の生しいたけ消費量は、なんと下から2番目である。このデータから考えられるのは、長野においては生しいたけなど普通のキノコは眼中にあらず、生しいたけ以外のキノコを食べまくっているということだ。なお、山形や新潟も、長野と同じ傾向が見られる。那覇は「生しいたけ」も「他のきのこ」も最下位であり、キノコ食の習慣自体があまりないのだろう。富山は生しいたけもそれ以外のキノコもよく食べるようだ。(平成24年平成26年平均の資料を参照)

*2:東津山駅そばの地元系スーパー2店舗では、たしかにホルモンが充実していた。しかし津山駅近くの天満屋の食品フロアには、ホルモンがなかった。YouMeマート津山店へは立ち寄れなかったのが悔やまれる。

*3:観光地は住宅街と比べると、やはり食品スーパーは駅から遠く、規模も小さくなりがちだと感じる。

*4:他には、油揚げの形状、食パンの切り数、鮮魚の産地、調味料のバリエーションなどに着目するのも面白い。

繰り返される生活を見つめること

この記事は、家庭を支える技術 Advent Calendar 2015 の5日目の記事として書かれています。
ここでの「技術」ということばは、ゴリゴリと音を立てながらコードを書くプログラマであったり、ネガティブな意味の乗らない「ハッカー」のような人たちを連想させるものですが、わたしはそういった技術はもちあわせていません。しかしそのような人の家庭ももちろん、「技術」によって支えられているのです。



同じような日々を繰り返すことでわたしたちの生活は進んでいきます。同じようなことばかりですから、どんどん忘れていってしまいます。昨日の夕飯はなんだったのか、布団を干したのはいつ以来なのか、髪を切ったのはいつだったか。反復周期は単一ではなく、だからなおさら忘れてしまう。忘れたくないことも忘れてしまうし、忘れてもそんなに困らないけれど思い出せれば便利かもしれないという程度のことももちろん忘れてしまう。


どうせわたしたちはなんでもネットに書いてしまうのだから、書けることはなんでもネットに書いてしまえばいいのだと思います。それらは勝手に蓄積されていき、適宜参照できるとよい。蓄積ストレスの低さ、手軽さ、検索性にすぐれたウェブサービスが、Twilogです。
Twilog - Twitterのつぶやきをブログ形式で保存
なにをいまさら。Twilogが便利なのは自明であり、議論の余地はありません。



先日、久しぶりにチャーハンをつくりました。かつてチャーハンのつくりかたを調べてツイートしたことがあったのではないかと思いTwilogを検索すると、自分好みにアレンジの入ったレシピを書いていたことがわかりました。そんなことはすっかり忘れていたのです。
あるいは、夕食にホワイトシチューをつくったとき、その副菜や主食をどうするのかは悩ましい問題です。広大なインターネットにはさまざまな知見がありますが、知らない誰かの意見よりも自分の過去ログのほうが助けになります。知らない誰かは知らない誰かのために夕食をつくっているのであり、わたしはわたしのために夕食をつくっているのですから。



かつてのわたしがこんなことを書いています。

Twilogを確認したところ、自分がかなりの頻度で喉を痛めていることに気付く。定常的な対策をするべき頻度だと思われるが、その自覚はなかった。

https://twitter.com/ffi/status/524147051655725057

記録には認識を変化させる可能性がありますが、この記述が活かされるためには、Twilogを「喉」とか「風邪」といったワードで検索しなければなりません。それは現実的な行動ではないでしょう。ライフログがいまよりも能動的にわたしに働きかけてくる仕組みができないものかと思っています。
とはいえ、そのためにはログ投稿ツールはTwitterでは難しいでしょう。わたしの家庭の健康にまで口を出せるライフログは、無造作に公開するようなものではないはずです。専用の投稿先(紙の日記帳や、限定公開SNSなど)をつくることはいままでに何度も失敗してきました。『ハーモニー』のWatchMeのようなシステムをすこしだけ夢想しますが、それはもっと大きな世界の話。「家庭」を支えるのは、もっと手の届くところにある技術であってほしいなどとも思います。



以前にはこんな記事も書いています。
まず、ご飯より始めよ(生き延びるための自炊入門) - うしとみ
自炊スターターキット、あるいは一人暮らしで買わなくてもいいものリスト - うしとみ

明日は主幹のkei_sさん。

海老名市立中央図書館に行ってきた話

2015年10月9日、「ツタヤ図書館」として話題になっている海老名市立中央図書館に行ってきました。

入り口をはいるとすぐに、蔦屋書店とスターバックスコーヒーがあります。そしてその先には吹き抜けの階段と、コンクリートの梁がむき出しになった、いい感じの空間があります。
「図書館」のつもりで入った先が「本屋」なので、初めて訪れるとかなり戸惑うと思います。蔦屋書店は1階フロアのかなりの面積を占めているのですが、途中からまるで継ぎ目なしに図書館になっているので、これも戸惑いました。とはいえ、慣れてしまえば問題ないのでしょう。
とにかく、ここはオシャレ空間です。スターバックスコーヒーはその培ってきたオシャレなイメージを存分に見せていますし、蔦屋書店も代官山や有楽町マルイにあるようなスタイリッシュなイメージで展開しています。図書館の建物自体も(今回のリニューアルオープンのために改装したのかどうかは知りませんが)、カッコいいです。


図書館には、明るい場所というイメージはあまりありません。楽しい場所というイメージもあまりありません。なんだか薄暗いし、静かにしていなくてはならないし、建物は古いし、というのが図書館の共通イメージかと思います。
もちろん、近年の公立図書館はもっと明るい場所になっているようです。わたしが行ったことのある場所では、徳島市徳島駅、千葉県市川市市川駅、神奈川県川崎市武蔵小杉駅にそれぞれ隣接した公立図書館は、建物もあたらしく、明るく楽しいイメージのある素敵な空間でした。海老名市の中央図書館は、さらに積極的に館内を楽しい場所にしようとしているのだと感じました。


さて、図書館に入る前に蔦屋書店を眺めていきます。雑誌があり、小説があり、新書があります。旅行ガイドがあり、ビジネス書があり、自己啓発本があります。レシピ本があり、思想書があり、資格取得本があります。ひと通りありますが、「嫌韓・嫌中本」は置いてないようです。大衆週刊誌もないようです。入り口のいちばんいい場所にあるのは、『火花』ではありません。2015年10月のいま、店先に『火花』のない書店がどれだけあるでしょうか。


地下階に降りていくと、おそらく以前は閉架書庫として使われていたであろう広いスペースに、小説がずらりと並んでいます。高い天井のいちばん上まで本棚になっていて、階段の途中から見下ろすと、なんともワクワクしてきます。もっとも、高い棚に置いてある本は、ボール紙でつくったようなフェイクでしたが。意外なことに、古典文学の原典本や解説本などもそれなりに充実していました。「書庫」シールが貼られたままの本も並んでいます。どうやら閉架書庫を廃止したことで、久しぶりに日の目を見ている本がたくさんあるようです。『機龍警察』シリーズの順番が狂っていたのを並べ直しつつ、地下をあとにしました。


この建物は、地下階から地上4階まであるのですが、階段がどこにあるのかわかりにくいのが難点です。空間がカーブさせてあったり、袋小路めいた書棚の並びだったりもします。建物の概略図がわかりにくいだけでなく、じっさいに歩いても場所がよくわからなくなります。館内マップも、来館者に配布するためのものは用意がないようでした。建物の構造はもう動かせないにしても、誘導表示などは改善されていくことでしょう。

4階は児童書コーナになっています。エレベータが2基あるのですが、このアクセスも改善の必要を感じました。
わざわざ4階にしなくてもとも思うのですが、4階の中央には高い半球の天井があり(建物の外からも見える構造部分)、とても気持ちのいい空間になっていました。この半球の下で絵本の読み聞かせがされたら、とても素敵だろうなと思います。屋上テラスにもつながっているので、子供の気分転換にもいいだろうと思います。


この図書館がとくに話題になったのは、書籍の分類の独自性からでした。
たしかに、棚をめぐっていると、妙なところに並んでいた本はいくつかありました。でも、全体として見れば、それらのエラーはわずかなものです。どんな図書館にも、間違った分類の本はあるはずです(間違いなどあるはずがないと言う人は、図書館のなかを歩いたことがないのでしょう)。数万冊のなかから面白い1冊をピックアップして笑うのは、木を見て森を見ない行為だとわたしは思います。
本の分類は、図書館学の長年の知の蓄積です。それを否定することは、わたしにはできません。図書の分類はこのようにあるものだという知見は、まったく正しいと思います。でも、それだけが正解なのか。正解はそれしかないのか。違う分類があってもよいと思うのです。
いま、特定の本にアクセスしたいのであれば、Amazonで買うのがいちばん速いわけです。Amazonで検索して「この本を買った人はこんな本も買ってるよ」と言われたらそれも読んでみることで、さらに本の世界が拡がっていく。そういう世界にわたしたちはいます。そしてそんなネット書店に対抗するための言葉として、「リアルの書店には思いがけない出会いがある」なんて言うわけです。けれど、リアル書店に行ったところで、並んでいるのはベストセラーばかり。小説はなぜか出版社別に並んでいるから、『屍者の帝国』がハヤカワ文庫から出てると思い込んで探しても、ぜんぜん見つけられないのです。
海老名市立図書館の分類こそが新しい基準になるべきである、とは思いません。もっと洗練されるべきだし、修正が必要な部分もあるでしょう。ただ、わたしが確実に言えるのは、海老名市立中央図書館には新しい平等があるということです。
タイトルでグルーピングし著者名でソートするだけの分類と、閉架書庫の廃止という2要素によって、ほんらい誰の目にも留まらなかったはずの本が妙なところに置かれる。その本を、べつのことに興味があったはずの誰かがたまたま手に取る。「思いがけない出会い」が、普通の図書館よりも起こりやすくなっていると、わたしは考えます。勘違いかもしれませんが。
たしかに、もう舞台に上がるべきではない本まで配架されています。 WindowsXP や Excel2003 の参考書と出会うことに意味はないとわたしも思います。でも、そういう無駄な平等があるからこそ生まれる「出会い」を楽しみにしてもいいんじゃないでしょうか。


公立図書館は、誰のためにあるのでしょうか。なぜ行政が無償で提供することになっているのでしょうか。おそらく正解はあるのだと思います。わたしはこれまでもこれからも一貫して図書館のユーザなので、ただただ享受するばかりです。
公立図書館には、村上春樹が何冊も何冊も所蔵されているべきでしょうか。『火花』が何冊も何冊も所蔵されているべきでしょうか。スベトラーナ・アレクシエーヴィッチは何冊かあるべきだと思いますが、正解はわかりません。
図書館学的な正解をわたしは知りませんし、誰もが納得する正解はおそらく存在しませんが、運営するのであれば指針はあるべきでしょう。慣習として行政が無償で提供するサービスなのではなく、理念とか、理想とか、KPIとかがあるべきでしょう。
海老名市立図書館は、「図書館に遊びに行こう」と住民に思ってもらえる図書館を目指しているのだと思います。それはとても価値のあることだと思うのです。

課題はたくさんあると思います。検索システムはまだ弱いし、スタッフもまだまだ不慣れな様子でした。「出会い」優先の配架にするなら、検索精度はじゅうぶんに高くあるべきです。手の届かない棚に並んだ、実質的には閉架の書籍については、再検討が必要でしょう。
課題はありますが、これはけっして全面的に否定されるようなプロジェクトではないのです。


海老名駅前には、まもなく大型ショッピングモールがオープンします。新宿まで1時間、横浜まで40分。これから人口が増える都市なのかもしれません。
本を、知を、無理のないスタンスで好ましく思うような住民が増えていくことを、わたしは心から願っています。

誰が「珈琲」をつくったのか? 検索と図書館で「珈琲」の歴史を探すゲーム #珈琲咖啡探索隊

コーヒー、漢字で書けますか? 「上島珈琲店」や「珈琲館」、「炭焼珈琲飴」など、店名や商品名にもあるように、「珈琲」と書くのが普通です。
では、その漢字表記はいったいいつから使われているのでしょうか。

そもそもコーヒーが日本で初めて飲まれたのは、いったいいつなんでしょう。実は、江戸時代には長崎ですでにコーヒーが飲まれていました。その頃からコーヒーが「コーヒー」と呼ばれていたかというと、どうもそうではなさそうです。外国から来たものですから、音もはっきりと決まらず、「コッヒィ」だとか「カッヘイ」などと記された江戸時代の文献が残っているようです。


ところで、現代の中国語ではコーヒーは「咖啡」と表記されています。日本語の漢字とよく似ていますが、偏が「口」ですね。
江戸時代に日本へやってくる外国語は、中国語とオランダ語ですから、コーヒーもまず中国語の「咖啡」が入ってきてそれから「珈琲」になったのかもしれません。そうじゃないかもしれません。
中国語の漢字といえば、日本語のものより簡略化されているものが多いというイメージもあります。コーヒーもそういうことなのでしょうか。


いったい、「珈琲」という表記はいつうまれたのか? そして、いつから一般的に使われるようになったのか?


#珈琲咖啡探索隊「珈琲」と「咖啡」の差は19世紀以前のどこで生まれたか? 日本語と漢語のそれぞれの展開をdigる - Togetter
これは、漢字文化圏での「珈琲」という表記にまつわる様々な謎を、ネット検索や図書館の貴重書データベースなどを駆使しながら探っていく、ある種の「ゲーム」です。
togetterまとめの最初の方では、「大正時代ってもうコーヒー飲んでたのかな? その飲み物の名前は「コーヒー」でいいのかな?」というくらいの疑問を検証しているのですが、次第にいろいろな情報が少しずつわかってきます。とても長大なまとめであり、わかりやすく編集されたものでもありませんが、軽く飛ばし読みするくらいのつもりで読んでいくと、もしかしたら面白いかもしれません。


「#珈琲咖啡探索隊」と名付けられたこの「ゲーム」により、いろいろなことがわかってきました。
奥山儀八郎という版画家がいて、コーヒーの歴史について収集研究をしていて、『日本珈琲文献小成』という本が昭和13年に出版されていたこと。
そしてその成果は、現代のインターネット上にあまり継承されていなかったこと。
けれど、奥山氏が参照した多くの文献は、国立国会図書館近代デジタルライブラリーや、早稲田大学図書館の古典籍総合データベースによりインターネット上で閲覧可能であること。

奥山儀八郎が著した『珈琲遍歴』という本があります。この本の表紙裏に、こんな版画が掲載されています。

(味の素食の文化ライブラリーにて、許可を得て撮影)
コーヒーの異字を集めたこの「かうひい異名熟字一覧」は、日本全国の喫茶店での目撃情報があります(版権がどうなっているかは未確認)。いったいどうしてこんなにたくさんの「コーヒー」があるのでしょうか。奥山氏はいったいどうしてこんなにたくさんの言葉を採集できたのでしょうか。


初めの問いに戻りましょう。「珈琲」という漢字表記はいつから使われているのか?
日本国語大辞典』という全13巻のすごい辞典には、「文久二年(一八六二)の「英和対訳袖珍辞書」に見えるが、明治三〇年代末頃から徐々に定着し始め」とあります。では、その「英和対訳袖珍辞書」というのが最初なのか? というか、辞書に載るということはその言葉が既にどこかで使われていたということのはずで、じゃあそれはどこだったのか? 中国語の「咖啡」との関係は?
このあたりのことは、先のtogetterの9ページ目(2015年8月5日12時台)までを読むと、とても面白くわかるはずです。


さて、ところで、「珈琲」という漢字がはじめて日本語の出版物に記載されたのが文久二年だったとして、それから「珈琲」という漢字表記が生き残っていったのは、なぜなんでしょうか。
明治時代には「珈琲」と「咖啡」のどちらの漢字表記も使われていましたし、少数派ながらその他の当て字も使われていました。なにしろ、政府刊行物である官報においても「珈琲」「咖啡」のどちらもが使われています。
いったい「誰が」、「咖啡」を日本語から追いやっていったのか? このエキサイティングな謎は、まだはっきりとはわかっていません。もしかしたら、そんなことは何十年も前に誰かが研究しているかもしれないし、もしかしたら、誰もそんなこと調べていなかったかもしれません。それさえ、この文章を書いている時点ではわかりません。


この不思議な「ゲーム」は、あなたの参加を待っています。
あるいは、たとえば「日本で初めてチョコレートが食べられたのはいつか?」という疑問をインターネットで検索した結果からも、これとよく似たゲームが立ち上がりそうです。

「巨人の肩の上に立つ」という言葉があります。いっしょにコーヒーでも飲みながら、「巨人の肩」の大きさにため息をついてみませんか。


※2015年8月29日追記:
誰が「珈琲」をつくったのか?#珈琲咖啡探索隊 (ダイジェスト版) - Togetter
短めのまとめを作成しました。

ゴマ煎り器をつかってコーヒー豆の焙煎を自宅でおこなう

コーヒーにこだわる人は少なくないが、豆を焼くところから自分でやるとなると、それはたぶんちょっと面倒なタイプの人だろう。

自宅でうっかりコーヒー豆の焙煎を始めるために必要なこと(焙煎導入編) - うしとみ
自宅焙煎の「導入編」と題したものを以前書いた。「導入編」では、コーヒーを自宅で焼くことについての心構えと、ゴマ煎り器を使うべしというあたりまでしか書いていない。手法については、コーヒーを専門にされている方のブログへのリンクに任せている。
https://kacco.kahoku.co.jp/blog/rojiina/35695
こちらの記事「手網焙煎(4)」では、ゴマ煎り器を使った焙煎方法のこまかい部分まで書かれている。これを参考にすれば十分だとも思われるが、わたしのやり方も記しておくことで、趣味を同じくする人たちへの検討資料のひとつになればと思う。

焙煎の手順は、

  1. 生豆の選別
  2. 加熱
  3. 冷ます

の3段階となる。選別に1〜2分、加熱に10〜15分、冷ますのに3分程度かかる。合計20分。
また、ゴマ煎り器での焙煎では、一度に30グラム程度までしか焼けない。つまり一度に2杯分程度しか焙煎できない。
わたしは、このところ毎晩のように焙煎している。夕食の片付けも済んで一段落したところで焙煎し、それを翌朝淹れて飲む。焙煎が面倒なときもあるから、市販の豆も用意しておいて、毎朝のコーヒーは欠かさなくて済むようにしてある。

生豆30グラムというのはこのくらいの量だ。豆の量は計量するべきだが、秤がなければ体積でみても構わないだろう。

買ってきた生豆には、ダメな感じの豆がいくらか混ざっている。周りと比べてあまりに小さいものや、形の不格好なもの、虫食いらしい穴のあるものなどは取り除く。気分の問題でもあるし、火の通りの均一化をねらう意図もある。気にしだすと捨てる豆が増えていくので、こだわりすぎないのがいいと思う。


ゴマ煎り器に生豆30グラムを入れた様子。豆が鍋のなかで重ならない、ちょうどいいくらいの量になっているのがわかる。これより多いと熱の伝わり方が難しくなりそうだ(試したわけではない)。


火にかけて、ひたすら前後左右にゆすりながら加熱する。コンロ自体の火加減よりも、火元からの距離によって加熱加減を調節するのがよさそうだ。何度かやってみて、自宅のガスコンロのちょうどいいあたりを見つけていく。

しばらく加熱していると、豆の色が変わってくる。

このくらいまで加熱するころには、豆のハゼる音がけっこう鳴ってくる。このハゼ音のタイミングで、焙煎の具合を判断する。前掲の記事に詳しい解説があるので参考にしつつ、自宅の環境と、自分のコーヒーの好みに応じて、ちょうどいい焙煎を見つけていく。


火からゴマ煎り器をおろしたら、ザルに空けて冷ます。この手順では、豆の皮がたくさん飛び散るので、注意が必要だ。
網ザルに移し、ボウルや皿に移し、また網ザルに移す。これを繰り返すことで、それなりに冷めていく。豆の皮はザルに残りやすいので、その都度捨てる。「ゴマ煎り器→ザル→ボウル(ザルに残った皮を捨てる)→ザル(ボウルに残った皮を捨てる)→ボウル(ザルに残った皮を捨てる)……」という具合だ。

焙煎後は急冷することが重要だと言われているが、趣味として自宅でやるのであれば、そこはこだわるべきポイントではないと思う。大げさな送風によって冷ますことはできるが、それと皮の飛散を防ぐのを両立するのはちょっと面倒だ。
自宅焙煎でこだわるべきポイントは、手軽に続けられる手法であることだ。ゴマ煎り器を使って加熱中の散らかりが回避されているのだから、冷ます段階で散らかすのでは面白くない。



焙煎の記録は取っておくとよい。特にさいしょのうちは、豆の量をきっちり計測し、経過時間をメモしながらやるのがよい。4回くらい試行錯誤すれば、あとは安定した焙煎ができるようになるだろう。


Amazonをみたら、以前紹介したゴマ煎り器が値上がりしていた。こちらの方が安い。

木柄 ゴマすり器

木柄 ゴマすり器

Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」にゴマ関連の商品ではなく、コーヒー生豆が並んでいるのは、わたしの環境によるのだろうか。
ゴマ煎り器により自宅焙煎が気軽に初められる趣味となっているのだとすれば、そしてこのブログの記事が少しくらいその役にたっているとすれば、嬉しいことである。

『響け!ユーフォニアム』はなぜ素晴らしいのか きっと「特別」ではない私たちの物語

テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』が素晴らしい。この文章を書く時点では第12話まで放映されていて、最終話となるはずの第13話は未放送だが、素晴らしいと言い切ってしまっていいだろう。
『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』公式サイト


素晴らしい作品には、2つ条件がある。1つは、鑑賞者がその作品の世界に入り込めることであり、もう1つは、鑑賞者が体験し得ないことが描かれることである。
黒木華ベルリン国際映画祭で女優賞を受賞した映画『小さいおうち』。黒木華の演技はとても素晴らしいが、冒頭の、現代の火葬場での会話の場面があまりにも説明的で映画に入り込む気が起きず、それが終始引っ掛かったため作品としての魅力はいまひとつだった。自然なセリフ、違和感のないキャスティング、文法に則った演出。さまざまなお膳立てが整うことで、作品はその門の幅と敷居の高さは適切なものとなる。

リアリティがあるだけで素晴らしい作品になるわけではない。映画『桐島、部活やめるってよ』は、クライマックスでの屋上での乱闘と、そこで挿入されるゾンビ映画風映像によって傑作たりえている。あのようなゾンビ映像は実際には存在しないわけだし、そこに「エルザの大聖堂への行列」が重なって聞こえることも本来はありえない。あの屋上の場面において、なお圧倒的に「美少女」として存在する橋本愛により、鑑賞者は現実には到達できない世界を見せつけられ、感動させられる。


響け!ユーフォニアム』が素晴らしい理由ははっきりしている。人生というものがそもそも素晴らしいからだ。
人生は素晴らしいし、高校生活は素晴らしい。そうでないと主張する人も多くいるだろうけれど、少なくとも『響け!』は高校生の人生をとても好意的に捉えて描いている。
私たちは普段忘れがちだ(というか、わざと無視している)が、この世界で生きているのは私だけではない。この世界では、私のほかにも、私の家族や、隣人や、同級生や同僚も生きているし、外ですれ違う見知らぬ人たちもすべて生きているし、そのすべての人たちにはそれぞれ家族や隣人や同級生や同僚がいて、彼らもやはり生きている。これは恐ろしいことだけれど、たしかにそのようになっている。誰もが、自分こそが自分の人生の主役だと思っているはずだし、そしてそれはそのとおりである。
翻って、フィクションの作品では、誰もが主人公であるという表現は難しい。作家は個別のキャラクタの背景にある物語を細かく設定しているかもしれないが、作品として現れてくるのは、主人公とその周辺の数人だけの物語であることがほとんどだ。ともすれば、主人公との間柄によってキャラが設定され、データベース的に割り当てられたキャラクタたちが、お約束の展開をしていくことになりやすい。そのような作品世界は、お約束を知っている鑑賞者にとっては参入障壁が低いともいえるが、そこにあるのはもはや鑑賞ではなく消費でしかない。


主人公の周辺以外のキャラクタにも人生が垣間見える例として、マンガ『スラムダンク』を挙げる。陵南戦の途中で倒れ、体育館の廊下で休む三井寿。「なぜオレはあんなムダな時間を……」とつぶやくシーンに、「オレ、もっとポカリ買ってきます!」と駆けていく補欠1年生がいたことを覚えているだろうか。あの1年生はバスケでは補欠であり、先輩たちや流川や桜木に憧れ、いつか自分もと心のなかで燃える役回りでしかないとも言える。しかし、熱心な読者であれば、彼には彼の物語の蓄積があり、彼の人生は前後に続いているということが、あのシーンから読み取れたはずだ。補欠1年はけっして通りすがりのモブキャラではなかった。そして、『響け!ユーフォニアム』においては、登場するほとんどすべてのキャラクタについて同じことが言えるのである。


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『響け!』第8話は、傑作の分岐点となった。
高坂麗奈が叫び、体現する「特別」にすべてを持っていかれそうになるが、8話には「特別」ではないすべての人生への讃歌がある。リボン先輩こと吉川優子は、なにかの成り行きで中川夏紀とどうやらそれなりに和解している。これまで「嫌な先輩その1」としての役割が目についた吉川優子にも、やはり彼女の人生があるのだ。加藤葉月塚本秀一は、主人公が放棄している恋愛セクションを代替するためにいるのではなく、彼らの人生を懸命に生きている。チューバ2年の後藤卓也と長瀬梨子のカップルにもまた、彼らの恋愛がたしかにある。おそらく初めての大きなデートに違いないお祭りで、彼女が浴衣で登場することの瑞々しさ。たぶんこの日初めて2人は手をつなぐのだが、そんなことは、本編をすすむ山上の高坂麗奈黄前久美子にはまるで関わりがない。作品のメインストーリィはあくまでも高坂麗奈の「告白」だが、お祭りを楽しむ多くの登場人物たちにとっては、そちらの方こそまるで関わりがない。それぞれに人生を生きるとは、そういうことである。

付き合い始めたばかりの彼女がデートに浴衣で登場することは、実際の私たちの人生でもふつうに発生する(そんなことはありえないと断言する人は多いだろうけれど)。犬猿の仲だった同級生と成り行きでいっしょにお祭りを回るうちになんとなく打ち解けてしまうことも、私たちの人生でふつうに発生する。しかし、雪女に魂を奪われることは、私たちの人生ではあまり発生しない。ふつうには発生しない圧倒的なできごとが、美しさによる説得力を伴って描かれるとき、作品は傑作になる。
あの8話は、「特別」を描くのと同時に、ふつうの人生の豊かさや瑞々しさもたしかに描いていたからこそ、素晴らしいものとなった。


高坂麗奈が言う「特別」は、『世界に一つだけの花』で歌われた「もともと特別な Only one 」のようなぬるい意味ではない。ほんとうの意味での、カギカッコ付の「特別」な存在になりたいのだと高坂麗奈は静かに叫んでいる。しかし、実際には、私たちはその意味での「特別」にはなれない。なぜなら、私たちはもともと特別だから。努力して才能を磨いて必死に手を伸ばしても、それでも「特別」にはなれず、なれるのはカギカッコなしの特別である。
「特別」とは、『魔法少女まどか☆マギカ』の鹿目まどかの結末のような、あるいは『輪るピングドラム』の高倉冠葉と高倉晶馬の結末のような存在である。現実の人生を生きている私たちはけっして「特別」にはならない。高坂麗奈も「特別」にはなれない。
けれど、彼女も、私たちと同じように、「もともと特別な」存在であることに磨きをかけ続けようとすることはできるし、彼女はきっと特別になろうともがき続けるだろう。その闘いは、きっと「特別」にはなれない私たち視聴者への応援歌でもある。

*1:画像はYoutubeのキャプチャ。 http://anime-eupho.com/story/08/