女の子のかわいらしさと、その瞬間について


正直にいって、ぼくはこの写真で白いご飯が茶碗に2杯は食べられる自信がある。性的な意味ではない。
少女が着ているグレーのワンピースも、少しぶらついたミュールも、胸まで伸びた長い髪も、揃った前髪も、メガネも、足元をぼんやり見つめる視線も、どれも完璧だと思う。すごく好きだ。コインランドリの洗濯機に腰掛けているのも素晴らしい。きっと彼女は洗濯が終わるのを待っているのだ。それはたぶん彼女ひとり分の洋服ではないのだろうが、そのあたりの判断は保留としたい。
とにかくこの写真は本当に素晴らしいと思うのだが、ぼくはこの写真の少女が誰なのか知らなかった。Twitterで教えてもらったのだが、多部未華子という人らしい。それを聞いて急いで検索をかけてみたのだけれど、どうもよく分からない。いろいろと写真を見ても、上の写真のような雰囲気は感じられないのだ。
ところが、またTwitterで教えてもらったのだが、こんな写真があった。

これを見てもまだよく分からない気もするが、たしかに多部未華子さんだ。最初の写真とはまったく違う印象。率直にいって、メガネを外して正面を向いた写真が95点だとしたら、足元を見ている写真は370点くらいである。A級とS級くらいに違うと思う。
思うに、女の子がものすごくかわいい瞬間というものが存在して、その瞬間を見てしまうともうクラクラするのだ。そして、また、そのものすごくかわいい瞬間ではないときには案外普通だったりするのであり、その状態を見ていると自分の体験が信じられなくなったりもするのであるが、これは別の話。
先日、よく晴れた昼下がりに、ぼくが原付で道路を走っていると、歩道で自転車の二人乗りをしようとする男女を目撃したのだけれど、女の子が自転車の二台に横座りにちょこんと腰掛けようとする瞬間の、嬉しそうな少し照れくさそうな、はにかんだ顔を目撃してとても幸せな気持ちになった。あの瞬間の笑顔は彼女の最高に素晴らしい瞬間のひとつだったに違いないとぼくは思っていて、だから自転車をこいでいた男子はとてもかわいそうであり、その瞬間をぼくに見せてくれてありがとうという気持ちもある。
まあ何がいいたかったかというと、女の子はかわいいし、すごくかわいい瞬間というものがあって、そのときは本当に素晴らしい、他のものには変えがたい幸せな瞬間だよねという話である。