意見文ってなんだろう

このブログは、書き手の id:f_iryo1 が日記のような扱いで書いている性質のものだったのだけど、なにかの巡り合わせで「意見文」とGoogle検索すると上位にヒットするようになった。当然「意見文」で検索してブログへ訪れる人が増え、コメントも付き、そして私( id:f_iryo1 )も「意見文」について考える機会が増えた。

「意見文」で検索してくるのは主に中学生だと思う。高校生も多いのかもしれない。夏休みや冬休みにアクセスが急増するから、きっと宿題なのだろう。


意見文ってなんだろう。
たぶん、なにかの事柄について、なにかしらの意見をもち、その意見をある程度の長さの文章にしたものだ。
新聞の2ページ目あたりにある「社説」が、「意見文」の代表といっていいんじゃないかと思う。新聞の1ページ目の下の段にある、朝日新聞でいう「天声人語」も意見文に近いかもしれない。もっと身近なところでは、「食べログ」や「Amazonのレビュー」も意見文かもしれない。あるレストランや商品(なにか一定の事柄)について、美味しかったとか感動したとか(そういうのも意見だ)を文章の形で書けば、それで「意見文」になるんじゃないか。


じゃあ、「学校の宿題としての意見文」は何を書けばいいのか。
もしも学校の先生が「優等生っぽい意見文」を書いてほしいと思っているなら、優等生が気に掛けそうな話題について、優等生が言いそうな意見を、それなりの起承転結をもって書くのがよいのだろう。優等生っぽい話題といえば、時事問題であり、優等生っぽい意見といえば、正論(実現は難しい意見であっても構わないし、逆に現実的だが道徳性には少し微妙なところのある意見もまたよいだろう)がよい。
時事問題なら、テレビのニュースで取り上げたものを話題にすればいいから、テーマ選びが簡単だ。テーマを決められないなら、明日の朝のNHKニュースで一番最初にやる話題を選べばいい。


どんな話題であっても、なにかしらの意見は言えるはず。だって、「これはいいと思う!」「これじゃダメだと思う!」「興味なし」の3択なら、どれかの意見は必ずあるでしょう。あとは、なぜ「いいと思う」のか、どんなところが「いいと思う」のかを書けばいい。もしかしたら「なぜそう思うか」を書くのは難しいかもしれない。そういう場合は、「私がなぜこう思うか」という書き方ではなく、「みんなはこう考えるんだろうなと思う」という書き方でもいい。自分の意見が思いつかなければ、みんなの意見を想像する。あまり褒められないことかもしれないけど、本当は大事なことだ。


「意見文を書きなさい」という宿題は、どんな意味があるんだろう。
文章を書く能力というのは、中学校や高校にいるうちは、あまり必要がないかもしれない。もしかしたら大人になってからも。会社で働くなかで書く文章には、決まりきった形式があることが多い。個性や自分の意見は、必要なくなることも多い。
読書感想文や意見文では、自分の意見を書くことを求められる。でも、どんな意見を書くのかは、実はそんなに重要ではない。重要なのは、ちょうどいい長さで文章を終わらせることができるかどうか、だ。これがけっこう難しい。
会話であれば、相手が興味がなければ話を打ち切ることもあるし、なにか別のことが起きて(電話が掛かってくるとか、別の誰かが現れるとか、目的地に着くとか)話がうやむやに終わることもある。文章では、適当に終わることはできない。
「意見文を書きなさい」という宿題は、もしかしたら、「とにかく指定した文字数でうまく話をまとめなさい」という宿題なのかもしれない。


では、どうしたら、ある程度の長さの文章をまとめることができるだろう。
まずは、最後にどんな話をするかということを考えた方がいい。この文章を例に取れば、「意見文を書くとは、つまりこういうことではないかと私は思う」が最後の言葉になる。国語の授業では「主題」と呼ばれるかもしれない。「結論」と呼ばれるかもしれない。
まず、主題を決める。夏休みの宿題の意見文であれば、「勉強は大事だからがんばろう」とか「私もオリンピックで活躍した選手のように毎日努力しよう」とか「消費税を上げるとよくない気がする」とか「いじめを見たら注意したい」とか「私ひとりが節電することに本当に意味があるのだろうか」とか、そのような主題が考えられる。
主題が決まったら、結論を整理する。そしてその結論の前に何を言ったらいいのか整理する。消費税増税の話をするのに、オリンピックの話をするのはあまりよくない。新聞やテレビではそういう話題の跳び方をすることがあるけど、それは書くのも難しいし、たいていは伝わりにくくなる。消費税についての意見を言う前には、消費税とはどんなものであるかを言うのがいいだろう。

だいたいのことは、3段階で言える。例。

  • 「宿題がたくさん出てつらい」→「でも宿題には意味があるんだろうな」→「きっと大事なことだからがんばろう」
  • 「オリンピックがあった。日本人選手が頑張っていた」→「すごいなあ」→「私もがんばろう」
  • 「消費税が上がるらしい」→「オレの小遣いは上がらないらしい」→「まじかよ」
  • 「いじめで自殺した人がいて話題だ」→「いじめはよくない」→「いじめはやめよう」
  • 「節電って言うけど、冬の寒さは無理じゃない?」→「暖房付けないとか真面目に死ぬレベルだし」→「やれることはやるつもりだけど、個人には限界あるよね」

あとは、この3段階にいろいろ付け加えていく。
付け加え方は、たとえばこの文章のように事例をいくつか挙げながら少しずつ進めるようなやり方がある。ひとつの事例を細かく説明することもできる。

こういうふうに、結論を決めて、そこへの展開を決めてから、詳しい話をしていく。これで文章の長さをコントロールすることができるはず。

こうやって「意見文」を書くことが「正しい」かどうかは、私はよくわからない。このような訓練をすることが有効であるのか、よくわからない。
よくわからないけれど、意見文を書くというのはこういうことではないかなと私は思う。