「フード左翼」は幸せになれるか
丸善の新書コーナで『フード左翼とフード右翼』のタイトルを見たときは、「しょうもないトンデモ本が出てるな」と思ったのですが、著者が速水健朗さんであるのを見て、さもありなんと購入したのでした。
- 作者: 速水健朗
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 新書
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食べることは、すべての人にとって重要なことなのは当然ですが、この本では「食」についてのそれぞれの志向を整理することで、わたしたちの政治的立ち位置を捉えられるのじゃないかという試みがなされています。
「フード左翼」「フード右翼」という言葉は著者の造語です。フード左翼とは、東京ベジフードフェスティバルに集まってくるような人たちであり、健康志向・自然志向である食のためならお金を掛けることを厭わないような人たちのことを指します。対するフード右翼は、言ってみれば「普通の人」であり、マクドナルドやコンビニ弁当や冷凍食品を食べる、食の安全よりも価格の安さや手軽さを優先する人たち。
とはいえフード左翼はまったく一枚岩ではなく、同じ野菜を求めていても、ベジタリアンだったりビーガンだったりマクロビアンだったりローフーディストだったりする。彼らの主義はときに激しく反目しているけれど*1、彼らにとって適切な食材を求めるためにファーマーズマーケットに集まってくる。
本書はそんな話題から始まって、政治的な話題、都市と地方の話題、数十年後に著者世代たちが高齢者になったときの食の話題など展開していきます。
冒頭に「みなさんも読みましょう、買って読みましょう」と書きましたが、本を買うことも、ある意味で政治的な行為です。Amazonのリンクを貼っていますが、Amazonでどんなに買い物をしても日本国へは税金がいかないらしい。地元の本屋さんで買えば、長い目でみればそれは本屋さんの雇用の安定につながるだろうし、事業税・法人税として日本国に還元されるのかもしれません。ブックオフで買っても著者や出版社にはお金がいかないし、TSUTAYAにお金を払うのも腑に落ちない、なんてこともあるでしょう。
本書にならえば、独自性のある書棚づくりをしているリアル書店で本を買うのが「ブック左翼」で、Kindleで買うのが基本というのが「ブック右翼」でしょうか。逆か。
とはいえ、本であれば入手方法がどうあれ商品の質は一定ですが、食については話が違いますね。
さて、私自身は食に関してフード左翼だろうかフード右翼だろうかと考えると、ときどき左寄りだけど基本的には右だなと思うわけです。食品添加物はできれば入っていないものを食べたいし、地球の裏側の海で冷凍された魚よりは日本近海で上がったものを食べたいし、グラニュー糖より三温糖の方がよさそうな気がする。でもマクドナルドは月に一度くらい食べたくなるし、二郎インスパイア系ラーメンも好き。こういう人はけっこう多いんじゃないかなと思います。
著者は、フード左翼が生息しているのは都市部だけだと指摘していますが、もっともな話です。地方で無農薬栽培やるのは実は大変なはず。*2
地方での買い物といえばイオンですが、イオンモールでどこまでの有機野菜が買えるか難しいところです。成城石井とか入っていればいいんでしょうけど。
私が18歳から25歳くらいまでを過ごした茨城県つくば市は、都市と地方が両方あるようなところのある街です。つくばエクスプレスに乗れば東京から1時間。数十年前までは関東平野の一田舎だったところに、研究所と大学と科学万博がやってきて、なんかいろいろあったみたいです。
つくばエクスプレスのつくば駅を降りてすぐの公園で、毎月第一日曜日に「つくいち」というイベントが開かれています。好きなイベントなので揶揄的になってしまうのは嫌なのですが、フード左翼寄りのお店や農家が出店し、毎回なかなか盛況なのです。つくいちが盛況なのは、つくば市に高学歴な都市住民が多く住んでいることの現れなのかもしれません。
つくば市がまだ行政区でなく「研究学園都市」として移住が始まった昭和50年前後の手記を集めた『長ぐつと星空』という本*3に、興味深いエピソードが載っています。もともと筑波地域に住んでいた「旧住民」である農家と、研究施設の移転で引っ越してきた「新住民」の対話。
「無農薬野菜を売ってください」「無農薬は無理だ」
「無理とはどういう事なんですか」「車でスイスイ行く人を尻目に、てくてく歩いて行けというようなもんだっぺ」
「でも、農薬を使えば地力が衰え、農薬中毒も出るのですよ」「そりゃ、分かってんだ。でも採算があわねえ。オレは農業で食ってんだから」「俺たちには団地の人たちの考えはわからねえな。俺たちは皆んなが、あほらしいと思うほど労働をし、育ってゆく植物に愛情をそそぎ、農薬の危険にさらされて仕事をして、割の悪い農業で生きているんだ。」*4
高速道路を横目に徒歩で行くようなものだといわれた無農薬栽培が、40年後のいま、たしかに市場に供給されている。とはいっても「つくいち」の開催頻度は月に一度というあたりが、つくば市のバランスなのかなとも思います。
「有機栽培であれば美味しい」という図式のウソを指摘したのは、つくば市の隣の土浦市で有機農業をする久松達央さんの『キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)』でした。久松農園の野菜はじっさい美味しいのですが、それは必ずしも「有機栽培だからではない」のだと。また、農薬の使われた野菜を危険だというのは不適当だともいいます。内部被曝のリスクへの捉え方と同じことだというわけです。このあたりの話題はちょっと面倒なので控えます。
フード左翼として生きるには、いくつかのジレンマに目をつぶらなくてはならないようです。『フード左翼とフード右翼』第5章では、世界規模で食糧問題を考えたときの問題が書かれていてすごく面白いのですが、もっと個別的なジレンマもあるだろうと思います。つまり、フード左翼は幸せになれるのか、ということなのですが。
フード左翼には派閥がさまざまあるものの、どれも先鋭的な立場であり、マイノリティです。マイノリティはだいたい苦労します。お金を余分に出しさえすれば食べたいものが買えるというならいいけれど、そうとも限らない。主義的に正しい食品が売っていないかもしれないし、売っていても美味しくないかもしれない。美味しくなくて高いだけの「正しい」食品を食べざるをえないとして、そんな主義はその人を幸せにしてくれるんだろうか。と、イスラム教など食事制限の厳しい宗教のことも考えると、難しい話題に突っ込んでしまっている予感がすごいですね。
人は基本的には幸せになることを望んで生活します。フード左翼な人たちが現状の社会において幸せな食生活を送りにくいということであれば、彼らはより望ましい食が実現できるように社会に働きかけるでしょう。
もっと有機野菜を売ってほしいというくらいならいいのですが、学校給食だったり職場の忘年会だったり親戚の結婚式だったりで声高に「正しい食」を叫ばれるようになったらちょっと困るかなあと思うところです。とはいえ、アレルギーで食べないのは当然に認めるけど、主義や思想で食べないのは傍迷惑だ、というのではおかしな話なので、フード左翼の権利は積極的に認められていくのではないかと思います。
ということは、フード左翼はより先鋭化することで幸せになれるが、共存するフード右翼はだんだんつまらなくなってくる可能性もありますね。居酒屋でウーロン茶しか飲んでないのに割り勘でたくさん払っちゃってるような。圧倒的にマジョリティだから、そんなに不公平感はないでしょうか。
話がよくわからない感じになってきた気がしますが、こういったことを考えることは重要だと思うのです。人は食べずには生きられませんし、社会に生きることは立場の違う人たちと一緒にいるということです。
自分が食に対してどんな立ち位置でいるのか。自分の周りの人たちや、世界の人たちは、食に対してどんな立ち位置なのか。彼らはどんなことを考えているのか。それらを知り、考え、話ができるようにしておくことは、自分の信じる食を守るために必要なことのように思います。
というわけで、『フード左翼とフード右翼』を読むといいですよ。*5
*1:フード左翼の旗手のひとりであろう幕内秀夫さんは、著書『粗食生活のすすめ』でマクロビオティックを強く批判している。 粗食生活のすすめ (小学館101新書)
*2:『おもひでぽろぽろ』への言及があったところで『おおかみこどもの雨と雪』も来るかな?と思ったけど、なかったよ!
*4:あいにく手元に本がないので、以前の抜き書きから孫引き。 https://twitter.com/ffi/status/82012718881714176 https://twitter.com/ffi/status/82007937509363712
*5:なんとかオチがついた。よかった。